【引きこもり問題】ひきこもりはなぜ長期化したか?

ひきこもりはなぜ長期化したか? 池上正樹さんに聞く、ひきこもりの実態

はじめて「ひきこもり」という言葉が公の文書に使われたのは平成のはじめ。それから約30年、ひきこもりは、80代の親が50代の子どもの生活を支える「8050問題」と呼ばれるまでに長期化、社会問題化しています。なぜここまで長期化してしまったのでしょうか? 行政や周囲ができることとは? ジャーナリスト池上正樹さんへのインタビューから、ひきこもりの根底にあるものを見つめます。

https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/179/

こんにちは、エナベルで就労支援を受けているОです。

池上正樹さんは「8050問題」や「7040問題」と呼ばれる高齢化する引きこもり、ニート問題に長く携わっているジャーナリストです。

「ガイドラインによって、ひきこもりは『就学や就労をしておらず、自宅を中心とした生活を送る状況が6か月以上続いている状態』と定義づけられ、全国の保健所や精神保健福祉センターへ対応が示されました。

しかし、一方で2003年に国が始めた『若者自立・挑戦プラン』と呼ばれる若年者支援が、ひきこもり問題の長期化を招いたとも言える側面があります。

『若者自立・挑戦プラン』を受けて全国に地域若者サポートステーションや、若者自立塾(若者職業的自立支援推進事業)などが設立されたことで、ひきこもらざるを得なくなる周囲の本質的な問題解決から、個人の問題に目を向けた『就労』へと目的が変わってしまった。

ひきこもりの当事者は、職場や学校で傷つけられた経験を持つ人たちが多いのに、当時の国の対策は、そんな彼らをトラウマとなっている場所に押し戻そうとしていたのです。

その結果、施策からこぼれおちる人がたくさん生まれ、希望を失っていった人たちが、今の『8050問題』の世代の一因となったのです。

こうした施設の対象は当初、15歳〜35歳程度で区切られており、ひきこもりで苦しむ当事者たちの受け皿となるにはあまりに限られたものでした。」

これは大きいと思います。とにかく引きこもってしまった人というのはまず社会そのものに傷つけられた人が多いですし、社会に対しトラウマないし不信を抱いている人が大半です。

しかし、当時は「引きこもりは甘え」「引きこもりは怠け」などと呼ばれて、少しずつ社会復帰をさせるのではなく、いきなり働かせようとする人たちが多かったと思います。そして、当時はリーマンショックなどで雇用が悪化しており、ハローワークに行っても絶望するだけだったんですよね……。

「ひきこもりというのは“状態像”なので、行政の制度のはざまに置かれてしまうのが今の大きな問題です。

ひきこもりに特化した支援窓口は自治体にほとんどないため、当事者や家族はどこに相談すればいいのか見えづらく、悩みを打ち明けにくい。

そして勇気をだして相談しても、組織が縦割りで必要な支援につながりにくかったり、窓口の人が対応を把握していなかったりする。

一方で、本人だけでなく家族全体が孤立しているため、社会からも見えづらいという問題があります。

この2つの『見えづらさ』が、ひきこもりを長期化させている要因にもなっています。

そうして次第に家族は諦め、当事者からは生きる意欲が失われて、絶望して『緩やかな死』へと向かっていく。ひきこもりは、つながることのできない社会に『ひきこもらされている』というのが実態なのではないでしょうか。」

実際、引きこもりから脱出するためにも、どうやって支援を受けていいのかわからないという人が大半だと思います。

逆にハローワークで精神障害で仕事ほ探しても無茶な仕事を回されて、逆に自信がなくなっていくという事例はいくつもあります。

ちなみに茨城県や水戸の支援施設についてのリング集は作りましたのでご参考にどうぞ。

茨城県水戸などリンク集

「ひきこもりが長期化しているのは、『自己責任』という考えが近年の日本社会に根付いてしまっているから。

当事者や家族の多くは、『社会に迷惑をかけてはいけない』『他人に迷惑をかけてまで生きていようと思わない』といった社会的な風潮や価値観に苦しめられ、偏見や差別の対象になり、やがて意見を主張してはいけないのではないかと、権利の行使さえも手放していく。

だからこそ、ひきこもりへの支援として、周囲にできることは、『まず人として生きよう』と発信すること。

そういう社会にならなければ、傷つけられ、孤立してきた家族や当事者は心を開けません。

ひきこもりは社会構造のゆがみから生まれる疾患や障害であると同時に、心の特性のひとつです。

だから、その人の特性にあった生き方が絶対にある。

たとえば働くことで傷ついたのであれば、どういうハードルがあったのか、働きづらさはどこにあったのか。

それを把握して、今度はそれに対応する形で仕事や役割を探すことができれば、ひきこもり問題は少しずつ改善していくのではないでしょうか。」

自己責任という言葉は本当に罪深いと思います。現代社会は自己責任で片付けるにはあまりにも巨大すぎて複雑化しすぎていると思います。

思うんですが、引きこもっている人たちをみんなまとめて「自己責任」で片付けてしまい、だれも救いの手を差し伸べないまま、数十万人の人間が生活保護に頼る事になってしまったり、犯罪に手を染めてしまうよりは、少しでも社会参加して、少しでも賃金を稼げるようになった方が長い目で見た場合、社会全体のためになると思います。

『自己責任』というのは、一見立派に見えますが、結局のところ社会の事を考えていない思考停止の言葉だと思います。

救われていない人を少しでも自立させていくことができれば、人手不足で大変な事になる日本社会にとっては、長い目で見た場合、社会全体のためになると思います。

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