【エナベルの本棚】『幕末の水戸藩』山川菊栄
幕末の救われない水戸藩を臨場感あふれる文体で描いた傑作!
こんにちは、エナベルで就労支援を受けているOです。
最近は幕末の水戸藩の壮絶というかジェノサイドとテロが相次ぐ今の中東やアフリカのようなすさまじい政治的混乱と殺戮の暗黒に魅入られてしまっていて、いろいろと調べたりしている状態です。
いわゆるハマり状態なわけですが、その中でもこの山川菊栄先生の『幕末の水戸藩』はかなりの傑作でした。
ただ、注意して欲しいのは、これを「歴史書」として読んでしまうといろいろ間違えるなと思うんですよ。
これはあくまで、ある一面から描いた「ノンフィクション小説」なんだと思います。
というのも、作者の山川菊栄先生自体が、時代が時代だけに昭和のマルクス階級史観や女権運動に完全に影響されてしまっていて、「水戸藩の『大日本史』が漢文なのはかな文字しかよめない庶民を排除するための徳川光圀の階級意識のせい」とか書いちゃってるんですよね。
それを言い出したら、幕末に広く読まれた頼山陽『日本外史』も漢文ですし、普通に「ちゃんとした歴史書」として出すには漢籍が当然だったという時代背景とかいろいろ無視しちゃっているんですよね。
ですから、これはあくまて「ノンフィンクション小説」であって、「歴史書」ではないという事は踏まえて読んでほしいと思います。
そして、そういう意識で読むととてもおもしろい!
文体も昭和の頃にしては読みやすい文体ですし、内容も「庶民のために書く」と意識している先生ですからとても噛み砕いてわかりやすく描いています。
そのお陰で、徳川光圀も藤田東湖も結城寅寿も武田金次郎に至るまでいきいきと描いています。また当時の庶民たちや女性にも視点を向けていて、山田風太郎の『魔群の通過』とは違った面白さがあります。
なにより、先祖が水戸藩の藩士だったので、山田風太郎のように突き放した描き方ではなく、ジェノサイドとテロが相次いだものの、それでも受け継がれたものはあるんだ、その先に自分がいるんだという描かれ方をしているのがとても救われます。
そうですね明治維新には参加できませんでしたけど、水戸市はちゃんと残っていますし、市民たちは今も力強く生きているわけですから。
そういう意味では、水戸市民には是非読んでほしいですし、「幕末に見とは何も残さなかった」と思っている人にも読んで欲しい、そんな本でした。
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