【就労移行】グループワーク、数学とコミュニケーションなどについて色々話す
こんにちは、エナベル水戸駅南で就労移行支援を受けているKです。
今回のグループワークでも色々な話が出ましたが、主に数学とコミュニケーションについて話しました。
まずは数学とはなんのためにやるのかということをみんなで考えました。やはり点を取るためや受験のためでそれがおわったらいらないものだろうという意見や、論理思考能力をつけるためだが、なぜわざわざ証明を行うのかわからないという意見が出ました。Kも数学は苦手で、特に図形や証明問題などに苦手意識を感じておりました。
しかし、M先生は、文系こそ数学的思考(数学的発想)を日常で使っているということを述べていました。古代では哲学は数学や自然科学と同義とされ、哲学ではこの世とはなんだろう?人生とは、生きる意味とはなど自然と個々人で考えていることであると聞き、Kは哲学にも学生時代苦手意識を持っていましたが、もっと身近なものであったのかと思いました。
哲学の話から人間関係論(コミュニケーション)の話になりました。コミュニケーションもどういう関係が理想であるかによって異なり、大きく二つに分けて人間重視(みんな仲良く差別しない、通じ合える、理解しあえる)のコミュニケーションと、効率重視(上司から部下への上位伝達のコミュニケーション、利害・損得で仲良しを演じたりする)のコミュニケーションがあります。現在では後者のコミュニケーションが重要視され、心はバラバラで見かけだけのコミュニケーションが行われ、コミュニケーションのとらえ方のずれが生じてしまっているということと、損得重視のコミュニケーションであり、仲良しごっこをしているだけで信頼が生まれず、人間の心がくずれてきているといいます。例えば芥川龍之介の小説「杜子春」では、お金持ちとなった杜子春は周りからちやほやされたが、一文無しになると見向きもされなくなるという扱いをうけたという話があります。損得で動く気持ちもわかりますが、現代社会は非情だなあと思いました。
また数学の話に戻り、算数と数学の違いについての話になりました。違いはとM先生が聞くと具体的には分からないが体感でわかるという意見がでました。M先生曰く体感というのも大事なところのようです。また、数学ではものごとの抽象化がなされており、私たちもその数学の考え方をよく使っているといいます。余分なところを削って記号化したりするということ、例えば棒人間やトイレのマークなども、簡単な形ですが、人間や男女が分かるようになっていたり、目と鼻の位置を変えるだけでも子供とわかるようになっているというのを聞いてなるほどと思いました。記号化はいろんなことにあてはまり、ひだまりスケッチというアニメでも、モブが棒のような形ですが「人間」だとわかるのや、ドリフのWYを縦に書くというネタ(ちょっと下品ですが)をネタだとわかるのも、記号化の考えが取り入れられているからだと知り、実は身近に数学の考え方があって、自然ととりいれていたのだなあと思いました。
魔法少女まどか☆マギカに登場するキュゥべえは感情をもたず、非情で嫌われ者のキャラクターですが、キュゥべえも数学的な考え方をとても取り入れているという話がでました。キュゥべえは感情をエネルギーとしてとらえ、少女の魂をソウルジェムという宝石に替え魔法少女にし、その後に魔法少女の希望の感情から絶望の感情に変わり、ソウルジェムがグリーフシードになって、魔女化する際に発生するエネルギーを回収するのです。魂を別の場所(ソウルジェム)に置き換えたり(「どうして人間は魂のありかにこだわるんだい?」というセリフがある)するところなどがとても数学的なようです。また、まどか☆マギカやひだまりスケッチの制作会社シャフトの背景が数学的要素を取り入れているのを見聞きして、普段見ているアニメでも数学とかかわっていたのだなあと思いました。
神社も記号化がされており、参道は産道、お宮さんは子宮のような構造をしているといいます。おおみそか(死)から正月(再生)にかけて初詣を行いますが、今年こそはと新しい自分に「生まれ変わる」といった意味合いもあると聞き、今まで気づかなかったがここにも数学があるのだなあと思いました。
家に帰るというのも「還る」と生まれ変わる意味が語源になっているそうで、日々「生まれ変わる」ようにリフレッシュしているのだなあと思いました。
今回の講義をきいて数学は苦手意識を持っていたものでしたが、意外と身近なところにあり、自然とよく使っていたものだったのだなあと実感しました。今回も色々な発見のあるグループワークで良かったです。次回のグループワークもどんな話になるのか楽しみです。