【障害者】「人は障害者を差別する」 私たちの心に根強く残るホンネとタテマエ
障害児に対するいじめなど、絶対に許されない。これは、ただの理想や抽象論ではない。
学校現場において、障害児に対して、その障害のゆえのいじめなど起きたら大問題だ。即座に教育委員会に報告され、普通のいじめ問題以上に、加害者は強く指導されることになる。
芸能人や政治家の発言もそうだろう。公の場、ネット上などで、障害者を差別するような発言がなされたら、大炎上するだろう。
(中略)
それでも、人は差別が好きだ。人は他の人と比較することで自分自身のイメージを作る。
人は、自信があるときには自分より優れた人物と比較して自分を正しく見ようとし、自信がないときには自分より弱い相手を比較して、歪んだ優越感を得ようとする。
(中略)
たとえば、誰かが場違いな笑顔でへらへらと笑いながら近づいてきたらどうだろう。何らかの障害があるだろうと予測ができても、嫌な顔をしてその場を離れる人は、今も少なくないだろう。
近所に内科や外科の病院ができることは、多くの人が歓迎する。だが、精神病院ができることを反対する人は、少なくないだろう。
近所に身体的なリハビリ施設ができることに反対する人は、少ないかもしれない。だが、知的障害者の施設ができるとなれば、反対もあるだろう。
「弱きを助け、強きをくじく」。日本人が慣れ親しんできた言葉だ。特に若者たちは、強いものと対決し、伝統を否定し、弱いものを助けようとしてきた。しかし、現代の若者は違ってきている。
若者は保守化し、そして強いものとの対決を避けるものもいる。さらに、弱者を攻撃する若者もいる。校長にも政府にも逆らわないが、弱いものいじめをたり、ホームレスを攻撃するような若者たちだ。弱者への攻撃でストレス発散を行う人もいる。ネット上でのひどい差別的発言をストレス発散で行っている人もいるだろう。
(中略)
障害者、特に精神障害、知的障害者に対する偏見差別はないだろうか。隣に知的障害者施設ができるなら、反対しないだろうか。
重い知的障害に重い身体障害が重なっている人もいる。彼らを、社会のお荷物だと感じる意識は、微塵もないだろうか。
https://ironna.jp/article/3724?p=1 iRONNAより引用
上っ面では障害者差別はいけない!…と言いつつも、人は差別します。自分本位でたまに優越感を、たまに尊敬の念を抱きつつ。
どうやっても人の心の根っこまでは差別はなくならないんです。障害者というだけで、いやな顔する人は少なくはなってきたけれど、それでも差別はなくならないのです。
ネット上を歩くと、SNS等で酷い書き込みを見かけます。今は誰でも情報発信できる世の中だから、人が居れば居るだけそこに色々な意見が発信されるでしょう。
それを見て、酷く傷つく人もいるだろうに、ネットという場所は炎上そこすれ、それを面白がって参加する人や同調している人も集まってくるかもしれません。
どうやっても障害者差別は根っこの部分ではなくならないのでしょうか。
時には障害者同士でも足の引っ張り合いをしているのを見かけるので、人という物はどこまでも人との差を置きたがるのだろうと思います。
ホンネとタテマエ。タテマエは美談だけど、ホンネは……。
それを簡単にサクっと可視化されてしまう今の情報社会が怖いです。。。
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