【人生】「歩歩是道場」1日1日を人生勉強と捉える【生き方】
皆さんの1日は充実な日々を過ごしていますか?
さすがに「はい、そうです」って人なかなかいないですよね(;’∀’)
どうも、就労移行支援を受けているMです。
仏教における説法をまた一つ書いていきます(*^^*)
人生修行の意味は苦しみも喜びも何でも良いこと。
人生山あり谷あり、愛ありエゴあり、欲望あり煩悩あり。
山と捉えるか谷と捉えるかは人それぞれの認識と価値観によりますので、人生は修行なのか遊びなのか、他の何かなのかは人それぞれの意味合いが生まれます。
仏教にて使用される宗教的意味合いの“修行”を基に、「人生は修行」という言葉があります。
人生を修行と捉えるかどうかは、「人生には辛いことがあるのが常識」というルール設定があるかどうかの考え方かもしれません。
「人生は修行」に含まれる本当の意味によって、思考的な安泰や、恐怖心や不安感からの対処法とは別に、自分自身の人生の認識と喜びを知り、修行への印象が柔和になり、気楽に活用できる言葉となります。
人生は修行なのか、修行ではないのか、どちらが自分にとって見合っているか、考える一助となることを願い、人生は修行の本当の意味を共有します。
修行とは人それぞれの成長
煩悩を鎮め、エゴとの分離や分別を意識的に行うことで、物事の認識をコントロールします。
そこには、自分の中での上下区分けのコントロール概念はなく、自我にある脳の思考と肉体活動と心の想いが共存した状態を表します。
煩悩とはエゴの欲望のことであり、エゴとは、脳内思考から生まれるネガティブな思いで、自分の心の傷を守り、存在価値を見出し、存在意義を見失わないように対処をするもう一人の自分です。
修行をする目的にはエゴによる苦しみの解消があり、その為に、対処をするのではなく、自らを成長させて自分を知ることを目指します。
修行を目的とする場合には、既に克服するべく自分を経験しているので、人生を辛いものとして捉える前提があり、自己の成長や強さを求めるために過酷な鍛錬としての苦行や荒行への意欲が生まれます。
苦しみがなく、克服を必要としなければ修行をする必要はなく、しようとも思いません。
しかし、修行には忍耐や鍛錬などの苦しみだけではありません。
修行とは : 自己の成長と強さを求め、自分にとっての不調和や苦しみの基となる違和感を解消するための行為
生きていることが毎日修行
修行に苦行や荒行、辛いことや苦しいことが伴うかどうかは人それぞれです。
辛いことや苦しいことがあることで、自分を認識しやすくなります。
それは半ば強引な修行方法でもあり、外的に逃げられない環境を作ることで自分と直面せざるを得ない状態を作ります。
(中略)
人生は修行だと思うのも、人生は修行ではないと思うのも、そのように認識することで自分が喜び、納得します。
栴檀双葉(せんだんのふたば)や大器晩成という言葉があり、これも「人生は修行」という言葉と似ており、ポジティブ思考をして現状を対処する思考巡りです。
それを言うことで自分が喜び、納得します。
(中略)
苦しみや辛さを体験した時には、どうして自分が辛いと思っているかの認識をする機会になります。
それらは滝行のように外的な要因が作られたことと同じであり、成長や強さを求める機会になります。
辛いことや苦しいことが起きた際に、自分のためのことであり、自分を喜ばすためだと認識することで、「人生は修行だね」と心を安らかにし、自己の成長へのモチベーションにもなります。
【引用元】https://nandemoii.com/life-is-self-improvement/【ようはなんでもいい。】
ちょっと分かりづらいと思うので、分かりやすく紐解くと
「ツラい、悲しい、悔しいといったネガティブ感情には蓋をしなくて良い。その気持ちを大切に向き合いながら生きてください」
ということです( 一一)
どうしても我慢してしまう人の多くがネガティブ感情から目を背けてしまうんですよね(´;ω;`)
だから、余計に自分で自分を苦しめる結果を出してしまう。
背けたくなる気持ちは分からなくもないです💦
けど、私自身向き合ってみて始めてこういった感情は普通に感じて良いんだって思えるようになりました。
そういうこともあってか、精神的に成長できた実感があります(*^^*)
自分のネガティブ感情としっかり向き合うことで前を向くことができます。
ネガティブ感情と向き合うことは最初はツラいかもしれないですが、慣れてしまえばどうってことないです。
是非、自分のペースで是非向き合ってみてください(^^♪