【人生】「執着(囚われているもの)」を手放すことで「大切なもの」が見えてくる【禅】
暑い、と思ったら「暑い」に執着してますます暑く感じてしまう。
気分的に涼しくなることって、なかなか難しいことですよね(;´∀`)
どうも、就労移行支援を受けているMです。
皆さんは何かに「執着」することはありますか?
「執着」は良い方向だと自分にとっての「こだわり」=「価値観」
悪い方向へ向くと「束縛」になってしまうのです(*_*)
だいぶ前ですが、こちらの記事でサラサラ執着とドロドロ執着について書いていきました。
「執着する」って、どういうこと? 仏教解説
執着するとは? 仏教では「執着(しゅうじゃく)」と読む!
仏教では「執着(しゅうじゃく)」と読み、苦しみを生む原因としてとらえられています。
この世は諸行無常であり、あらゆる事物は変化するものであるのに、変わらないもの・永遠のものだと信じ込んでしがみついてしまう。
それが苦しみを生むのです。
恋愛、お金、何かにとらわれている状態が「執着」
執着とは「とらわれ」です。
ひとつのことに心がとらわれて離れられなくなっている状態で、その対象は恋愛、お金、食べ物などさまざまです。
(中略)
こうした執着が悩みや苦しみを生みます。
なぜなら、心がとらわれてしまうと頭から離れなくなり、視野が狭くなって他の選択肢が考えられない状態になってしまうからです。
心の柔軟性がなくなっている状態ともいえます。これでは本当の幸せが見えなくなってしまいます。
執着に気づき、引き受けるということ
こうした執着はなるべく捨てたほうがいいのですが、自分が執着していることに気づくのはむずかしいものです。
(中略)
執着は目に見えないものだからこそ、認識するのがむずかしいのです。
ただ、執着する心の仕組みを知ることはできます。
頭から離れないほど心がとらわれてしまうこと、視野が狭くなり他の選択肢が見えなくなってしまうこと……そうした心の特徴を理解しておくと、実際に自分が陥ったときに気づきやすくなります。
そして気づくことができたなら、執着をきちんと引き受けることです。
「縁起」を理解することで手放す怖さが和らぐ
(中略)
執着しているときは、それを手放すと自分自身までも失ってしまうような気持ちになるものです。
執着するくらい自分にとって大事なものを手放すのはたしかに怖いことでしょう。
でも、本当は物事そのものに執着しているのではなく、執着している対象は、自分の欲望や願望を投影しているだけかもしれません。
仏教には「縁起(えんぎ)」という言葉があります。
これは、人や物事がそれのみで存在するわけではなく、相互に関係しあいその中で成り立っていることを表す言葉で仏教的な世界の捉え方です。
この在り方を理解し受け入れていくことが、執着を手放す恐怖を和らげることに繋がるはずです。
【引用元】https://allabout.co.jp/gm/gc/474762/【All About】
こちらも引き寄せの法則の基本ですね(=゚ω゚)ノ
昨日のグループワークでは、禅宗として有名な曹洞宗総本山・永平寺について少しだけ触れていきました。
永平寺はめちゃくちゃ厳しい修行寺として有名で、大半の時間を坐禅に使います。
とても普通の人では無理だなぁと思いますよね(;´∀`)
永平寺は、日常生活・社会生活ともに一つ一つの作法があります。
それを365日いつでも行っている。
決まった制限の中で「個」が出ると普通は想像出来ませんよね?
ですが、社会生活では制限の中から「個」を発揮する必要がある。
その為には引用記事に書いてある通り、相互作用・相互理解を行っていく必要があります(˘ω˘)
デイケアではプログラムを通じて、個人個人での相互作用・相互理解を通して社会生活の復帰を皆で協力し合っています(*^^*)
グループワークも同じ。
お互いの好きなものを通じて、相互理解を深め合っています。
私はこういうものが福祉の現場で、ボランティアの場で、どんどん広がってくれるといいなと思いながら、このブログを書き続けています。
とはいっても私一人だけ行動に移そうとしても、周りの協力が無い限りなかなか動けないのが現実(´Д`)
欲望を押し付けても無意味ってことが今までの経験でよく知ってますからね(;’∀’)
果たして今後どうなるのやら、私にはよく分かりません(*^^*)