【障害者】障がいは「個性」なのか

障がいは「ただの事実」
当事者である私は健常者が「障がいは個性」と言っているのを聞くとどうしていつもモヤっとしてしまいます。
私達の困難や苦しみを「個性」なんてゆるっとした2文字でくくってしまうのか?と。

脳に先天的な異常があることが個性?発作に怯える生活も個性のうちのひとつ?障がいのせいで生活の中でできることや働く場も制限されるけどそれも個性?
そんなものを個性だなんて呼んでほしくない、「障がいは”個性”ではない。ただの事実」だと私は思うのです。
そしてそう捉えるのが私にとって一番障がいというものを受け止めやすくするのです。

障がいが私を形成しているのではない。障がいが私の「個性」であってほしくない。
私がどんな人間であるかは、望まず生まれ持った障がい以外のもので測ってほしい、と。

「個性」というとその人の特徴をポジティブに表現する言葉に聞こえますが、障がいは障がい。
困難や制限を与えるものはどんな言葉でくくってもポジティブではないし、自分を表現する言葉としては適切ではない気がしてなりません。

 

「個性」という言葉の危うさ
「個性」という言葉はポジティブで前向きに聞こえる一方で危うさを含んでいます。
その危うさとは、そのたった2文字が持つとても大きな「受け止めやすさ」ではないでしょうか。

「あなたの障がいは個性なのよ」
「できなくてもいいの、それも個性だから」

「個性」と言われるとなんだかポジティブで前向きで、そしてやわらかくて、受け止めやすく感じてしまいます。
人間辛いことや難しい課題に直面した時には自分を守るために流れやすい方へ流れてしまう傾向があるものです。
「障がい」という難しい課題に悩んだり、障がいが原因でどうにもならないもどかしさを感じる状況にあったら、受け止めやすい事実を受け止めてしまいたくなるものです。

一旦受け止め方を教えてもらったら、自ら考えることや可能性を追求することを放棄してしまうかもしれません。
ひいては「個性」という言葉を言い訳に課題を打破することや努力することを甘んじてしまうかもしれません。

私達障がい者は障がいと一生付き合っていかなければなりません。
だからこそ障がいについて一生考えぬかなければならないのだと思っています。
自分の体調について、障がいのある自分について、障がいがあることで立ちはだかる壁をどう乗り越えていくかについて…

それは辛いことです。難しいことです。途中で投げ出したくなるものです。
しかし、障がいと付き合いながらより良い人生を歩むためには考えることを放棄してはならないのです。

 

「腫れ物」を包むオブラート
「障がいは個性」そう聞くとなんだかポジティブでやさしい感じがします。
しかしそれは、障がいというものが持つネガティブ、困難や制限をまるっと見えないオブラートで包んでしまっているだけではないかと思うのです。
そしてそのやさしいオブラートに包む意味は、障がいのない人が障がい・障がい者という「腫れ物」を扱いやすくしているだけではないのかとも。

以前私が友人にカミングアウトした時、友人はこう言いました。

「私は気にしないよ。障がいは個性だもんね。」

その時の私には引きつった作り笑いが精一杯でした。どのような形でも気にしないと言って受け止めてくれたのは嬉しかった一方で、こうも思っていました。

「彼女が私の障がいを個性と呼んだのは、きっと今後も私と付き合う上で、彼女自身が付き合いやすい受け止め方をしたのだ」と。

「腫れ物」も「個性」というオブラートで包んでしまえば受け止めやすくなる、付き合いやすくなる…それは無意識の差別であり純粋な優しさなのだと感じたのです。

http://www.media116.jp/other/9970 media116から引用

 

エナベルで就労移行支援を受けています、ウサギのTです。

グループワークでも話したことがあるし、よく聞く話です。「障害は個性」…と。

まるでおまじないのように、繰り返される言葉。

本当にそれでいいの?っていう自分が居ます。

この記事のように、私達の困難や苦しみを「個性」なんてゆるっとした2文字でくくってしまうのか?…と。

「あなたの障がいは個性なのよ」
「できなくてもいいの、それも個性だから」

そういわれてモヤる私が居ます。違う、違う障害は「個性」とかじゃない!と…。

この記事にも、「障がいは個性」そう聞くとなんだかポジティブでやさしい感じがします。
しかしそれは、障がいというものが持つネガティブ、困難や制限をまるっと見えないオブラートで包んでしまっているだけではないかと思うのです。

と書かれてます。そう、私のモヤモヤはこれなんじゃないかと。

うまく優しい言葉でくるんでいるけれど、オブラートでまるっと包んでるだけの言葉じゃないかと。

障害者は健常者にとっては「腫れ物に触る、精一杯のオブラート」

私の友達からはこの言葉を聞いたことはないです。カミングアウトしても、そのままの私を受け入れてくれました。

受け入れられなかった人は去っていきました。ただそれだけでした。

だからこそ、私にはこの言葉を聞くとモヤモヤするのかもしれません。

公共放送でもこの言葉を聞きます。優しさのつもりなのかもしれないんですがモヤります。

それでも、この言葉で前を向いていける人も居ると思うので、一概に否定してはダメかもしれないんですけどね…。

こんな本もあるし。うーん…

 

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