【障害者】なぜ、アメリカでは障害者を「弱者」と呼ばないのか?

あなたは弱者というカテゴリーに振り分けられ、「かわいそう」と思われたいだろうか?
(中略)
私は長年アメリカに住んでいるが、アメリカ人と日本人では障がいに関する考え方が大きく違う。

そもそも英語では障がい者(disabled people)とは言わない。障がいを持つ人、障がいと共に生きる人(people with disabilities)という言い方をする。

子どもの場合は、障がい児(disabled children)とは言わず、特別なニーズのある子ども(children with special needs)と呼ぶのが一般的だ。あくまでも「人」に焦点を当て、私たちには人間として同じ権利があることを強調する。
そして、アメリカ人はそれを子どもの頃から自然に学んでいく。

「インクルージョン・クラスルーム」と言って、障がい児も健常児(typical children)も同じ学校に通う。障がいのあるすべての子どもたちが、健常児と同じように学ぶことができる「環境」を提供することは、公立学校の義務であると法律で定められているのだ。

教育だけではない。交通機関や公共機関へのアクセス、雇用や住居の機会均等が法律で守られており、世間一般では当然のこととして認識されている。
このような社会では、障がいや病気のある人を「弱者」とは呼ばない。もし、彼らを “weak people(弱者)”などと呼んだら、アメリカ人は間違いなく「差別だ」と言うだろう。もし、障がい者が「社会的弱者」であるとしたら、社会が変わる必要があると彼らは考えるのだ。

「弱者」の代わりに英語では、「バルネラブルな人たち(people who are vulnerable)」という言い方をする。日本語にはない表現で、「弱者」とも意味が違う。バルネラブルは、障がいの有無を問わず誰もが経験することだ。たとえば、言葉の話せない国に行ったとき、暗い夜道を一人で歩いているとき、風邪にかかったときなどには、バルネラブルな状態になり得る。

(中略)

「弱者」という言葉が、〈彼ら〉と〈私たち〉を区別する言葉だとしたら、「バルネラブル」は、人間誰もが経験する苦しみや悲しみを通じて、私たちをつなぐ言葉である。
「障がい者」や「弱者」とそうでない人たちを、白黒で分けることはできない。

あなたが今健康だとしても、病気や事故でいつ障がいをもつかわからないし、すべての人に死は訪れる。

そして死期が近づいているとき、私たちは人生で最もバルネラブルな状態にあると言えるだろう。どんなにお金や学歴があっても、どんなにハンサムでも美人でも、死ぬときは皆バルネラブルだ。突然ポックリ死ぬことがない限り、確実に誰かの支えや助けが必要になる。

そのときあなたは何を求めるだろう? 弱者というカテゴリーに振り分けられ、「かわいそう」と思われたいだろうか? どうせもうすぐ死ぬのだからと、生きていても意味のない人間のように扱われたいだろうか?

(中略)

私たちが目指すべき社会は、「弱者を思いやる社会」ではなく、「弱者をつくらない社会」だと思う。
https://www.huffingtonpost.jp/yumiko-sato/handicap-difference-japan-usa_b_17633392.html HUFFPOSTから

 

エナベルで就労移行支援を受けています、ウサギの方のTです。

アメリカと日本ではこうも意識が違うのかと思った記事です。どうしても日本だと障害者は「弱者」の中のグループに入ってしまいますが、

アメリカでは違うんですね。

これは日本の障害者に対する根底の違いかもしれないし、障害者を取り巻く日本の社会が作り上げたものかもしれません。

いつの間にか「障害者」=「弱者」になってます。

だから私があまり好きじゃない某募金番組でも、障害者が頑張るところを見せて感動を煽ろうってコンテンツが無くならないのかもしれません。

確かに有事の際、例えば最近で言えば台風15号や19号の起こした甚大な被害。避難所に行きたくても行けない…っていう「災害弱者」な面はあると思います。

だけど、常にかわいそうだな…って目線で見られたいかというと、決してそんなことはないと考えます。

同情するなら金をくれ!じゃないですけど(汗)安っぽい同情なんかいりません。

弱者を思いやるなら、弱者をつくるな…納得です。

 

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です