グループワーク、ファッションや「おしゃれ」と「けしょう」の違いについて話す
こんにちは、エナベル水戸駅南で就労移行支援を受けているKです。
今週水曜日のグループワークでは主にファッションや「おしゃれ」と「けしょう」の違いについて話しました。
まず、Sさんがファッションに興味があり、ファッションでは機能性を重視するという話をしたことからから、ファッションで機能性か見た目どちらを重視するかという話になりました。参加者が挙げた意見では、どちらかといえば見た目重視の方の方が多め(どっちもというのもあったが)でした。いつも背が高くて目立つのでちゃんとしていたい、色、デザインを重視する、お金があればブランドものも欲しいといった意見が挙がりました。Kは、どちらも大事だと思いますが、Tシャツなどでキャラクターものなどが気になってデザインで買ってしまうことも多いので、どちらかというと見た目重視かもしれません。
そこから、「おしゃれ」と「けしょう」の違いとは何だろうという話題になりました。
参加者が挙げた意見では「おしゃれ」とは全身できるものであり、小物でもおしゃれができ自分らしさを演出できる、おしゃれはしたいという目的である、おしゃれは自由で、こてこてのファッションでも自分の好みだから自己満足でもOKといった意見がでたのに対し、「けしょう」とは顔だけであり、おしゃれの一つに含まれるんじゃないか、着飾る手段である、女性なら異性の目を気にして(恋人の好みに応じて)するものなのではないか、イベントやビジネスメイクなど身だしなみとしてやるものではないかというものが出ました。
そこで、語源についてM先生の解説が入りました。「おしゃれ」は「しゃれ(され)こうべ」が語源となっており、しゃれ(され)こうべ)の「され」はさらすという意味だそうです。昔京都の鳥辺野という場所では、風葬がおこなわれており、風葬は死体の「素」のままの姿をさらして肉をそぎ落とし、骨の姿になるという弔い方でした。「素」といえば素うどんもうどん自体の質が重要となり、具でごまかせませんよね。「おしゃれ」は「素」のままで勝負できるような自分らしさを表現するものとして考えられます。対して、「けしょう(化粧)」は「化ける」が語源となっており、厚化粧などをしてしまうと本人らしさがなくなってしまいます。私は全身を色々着飾ったりするのが今まで「おしゃれ」かなあと思っていたので、「素」のままの自分というのは意外でした。
他人の目を人間が気にするのは、3、4年生(小学校中学年)くらいからと考えられ、そのころから靴などのブランドにこだわったりするようになったり、ブランドものでない服などを「ダサい」といったりするようになるという意見が出ました。そこには親の影響もあるのではないでしょうか。また、他人の目の何をどう気にするかによって、ブランドなどを気にするあまり自分らしい必要がないということで、自分を見失ってしまうことがあるといいます。
90年代、ヤマンバギャルという黒っぽいギャルが流行しましたが、その中にも本当は黒が好みではないけど流行からはずれたくないからヤマンバギャルになった人もいるのではないかということや、「ギャル」は個人ではなく「集団」で目立っているということが挙げられました。
↑ヤマンバギャル(イメージ)
確かに、美白、小顔がブームになったら「ギャルは時代遅れ」とブームに乗って乗り換えた人もいるかもしれないなあと思いました。また、スケバンなどが流行った時は長いスカートにして反抗していましたが、ギャルの時代になると短いスカートが反抗の象徴となりましたよね。そんな中で流れゆく「流行」に流され続けている人は確かに多いと思います。でも、続けてギャルをやった人も少しはいたのではないかなあと思いました。ギャルは仲間意識を持っており、異質のかっこよさを持っています。何回目かに出た「犬型」・「ネコ型」人間の話がギャルに絡めてでたのですが、集団で群れを作るところは犬型、社会や大人に対して忠実に従おうとしないところはネコ型だそうですね。ある側面で「犬型」、「ネコ型」というのはギャル以外にもあるかもしれませんが、こんな特性もあるのだなあとなるほどと思いました。
今回のグループワークは「なるほど」と思ったことも多く、「おしゃれ」と「けしょう」の意味の違いなど、興味深いことがたくさんありました。あとコテコテの黒い「ギャル」は最近見ないのですが、「白ギャル」とか色白だけどギャルというのもあったよなあ…現在もギャル雑誌は再刊行されているということで、現在主流の流行とはまた違った側面もあるのではないかなあと少し思いました。むしろ現在でもギャルをやってる人は時代に流されてない感じがすると思ったのです。
自分なりに「おしゃれ」をして自由に生きていきたいものですね。