【4070問題】『生産性』とかいきなり求められる辛さ

平成の社会問題「引きこもり」への支援はどこへ向かうのか

「引きこもり」が認知された
平成時代の教訓を振り返る

平成最後の年が終ろうとしている。振り返れば、平成は「引きこもり」という言葉が初めて広く認知された時代でもあった。

 平成が終ろうとしている2018年、周囲の目線を気にして「~してはいけない」と思い込まされてきた当事者たちが、声を上げ始めた。そして、「引きこもり支援」を巡る時代の空気は、「8050問題」など長期高齢化する当事者・家族の孤立が地域の課題となる中で、従来の「就労支援」から1人1人の特性に寄り添った「生き方支援」へと転換された1年だったと言える。

https://diamond.jp/articles/-/189717

「引きこもりに人権はあるか」
シンポジウムで声を上げた人々

 12月、大阪府豊中市では当事者団体が主催して、「生産性のない“ひきこもり”に人権はあるのか」というシンポジウムも開かれた。

「LGBTは生産性がない」などと雑誌で発言した政治家の言葉を揶揄した刺激的なタイトルだったが、「ひきこもり」界隈の当事者側から、自らの「人権」を言葉にすること自体、今までなかった動きであり、新しい流れだ。

「この豊中市は“忖度”という言葉が生まれたところなので、抗う意味もあったんです」

 主催者のNPO「ウィークタイ」代表の泉翔さんがそう笑いを取ると、登壇者のひきこもり当事者「VOSOT」主催者のぼそっと池井多さんが、「私は“生産性”という言葉が流行語大賞を取るべきだと思った」と返した。

 支援者の立場から、精神科病院でPSWとして働いている神田桂子さんは「しんどいけど悩み続けなければいけないと思っている。それくらい人の生きることに触れるのは重いこと。そうやって明日からも生きていきたい」と打ち明けた。

こんにちは、エナベルで就労支援を受けているOです。

私もそうですが、今の40代は失われた20年の間に「生産性」という言葉によって犠牲になってきた世代でもあります。

就職氷河期、人あまりのために厳しい労働環境、ブラック企業による精神障害、そして引きこもりという人は多いでしょう。

しかし、現在の経済活動において「生産性がない」ということはそんなに悪でしょうか? 私は思うのですが、「生産性」があっても「消費」がなければ経済は空回りするばかりです。

実際、現在の日本は生産性は上がっていても、消費が冷え込んでいるために景気向上の実感がなくなっている状況にあります。

そろそろ人々は言うべきだと思います「人間は消費するだけでも人権はある」のだと。そして、まず生産性よりも先に消費者である事で人権を認めて、そこから生産性を問題にするべきではないでしょうか?

今いる引きこもりの人たちだって、「無駄飯食い」と揶揄するのではなく、「無駄飯を食っているだけでも消費によって経済を回している」という所から認めてあけで、「人格」をまず取り戻すケアが必要なんだと思います。

社会参加や社会復帰には、まずそういった「互いの人格を認める」事から始めないと、ただの強制では新たな犠牲を生むだけになると思います。

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