【茨城水戸情報】日本人初の快挙!茨城に住む音楽プロデューサーが、前人未踏の全米1位を獲得「目指すのはグラミー賞」

エンターテインメント王国・アメリカの音楽界において権威とも言える「ビルボード」のヒットチャートのトップに、日本人プロデューサーがその名を刻んだというニュースが舞い込んできた。

全米1位の座を勝ち取ったのは、茨城県を拠点に活動している音楽プロデューサーのTRILL DYNASTY(トリルダイナスティ)さん。

2020年12月にリリースされ、翌2021年1月にビルボードチャートのR&B/HIP HOP部門で1位を記録したアメリカ人ラッパー、Lil Durk(リル・ダーク)のアルバム「The Voice」。
TRILL DYNASTYさんは、同アルバムから先行シングルとして発表された表題曲「The Voice」にプロデューサーとして参加している。

(中略)

ちなみに、ビルボードチャート最上段に日本人の名前が載るのは、1963年の坂本 九「上を向いて歩こう(SUKIYAKI SONG)」以来、58年ぶり。
ヒップホップの本場、アメリカのビルボードR&B/HIP HOPアルバムチャートでの首位は、日本人初の快挙となる。
なお、Lil Durkのアルバム「The Voice」はこれまでに全米で約50万枚を売り上げており、RIAA(全米レコード協会)のゴールドディスクにも認定。
TRILL DYNASTYさんは日本人プロデューサーとして、ゴールドディスクも手にすることとなる。

 

最初は、ドレミのドの音も分からなかった
TRILL DYNASTYさんは、1992年、茨城県北茨城市生まれ。今も茨城県内を拠点に活動している。
「今回の受賞が個人としてありがたいのはもちろんですが、茨城のためにもなると思います。それだけで幸せです」と率直な気持ちを語った。

彼が音楽の道に目覚めたのは、21歳の時。地元のクラブでDJキャリアをスタートさせたことがきっかけだった。
東京都内でもDJ活動に邁進するうち、音楽を通じてより自分の個性を出していきたいと考えるようになる。
しかし、音楽的な素養はなかった。「プロデューサーを目指し始めた時は、ドレミのドの音も分からなかった。気合と根性でここまで来ました」。

彼が最初から見据えていたのは、ヒップホップの本場、アメリカ。
「僕は、すべてにおいて人より始めるのが遅いタイプなんです。そこに劣等感を覚えていました。
だからこそ、日本でコツコツやるよりも、海外で一発当てて有名になることを目指していました」。

(中略)

「『The Voice』がリリースされてから、もう半年くらい経っています。
今回、こうしてビルボードに認定されたことはもちろんうれしいですが、これは自分の夢に向かう通過点の一つ。
自分の熱量は、すでに次のプロジェクトに向かっています」。すでに、別の海外ラッパーへの楽曲提供が控えているとも教えてくれた。

「目指すのはグラミー賞」―― 最後に自らの夢を力強く語ってくれたTRILL DYNASTYさん。それが現実となる日も、もしかするとそう遠くないのかもしれない。

https://www.walkerplus.com/article/1033690/ Walker+から引用

 

 

エナベルで就労移行支援を受けています、ウサギのTです。

私は普段ヒップポップはきかないのでよくわからなかったんですが、ヒットチャートのトップに、日本人プロデューサーがその名を刻んだ…というのは大変名誉ですね。

1963年の坂本 九「上を向いて歩こう(SUKIYAKI SONG)」以来、58年ぶり。そんな凄い事をやっちゃったんですね!

ゴールドディスクにも認定され、TRILL DYNASTYさんは日本人プロデューサーとして、ゴールドディスクも手にすることとなったと。

茨城の人がこんな凄い事やってるなんて、茨城県民としても嬉しいですよ。

しかもヒップポップの本場のアメリカで、認められたんですから喜びもひとしおですよね。

「プロデューサーを目指し始めた時は、ドレミのドの音も分からなかった。気合と根性でここまで来ました」。

…と語ってます。積み重ねた努力は相当だったと思います。

今回の事に終わらず、目指すのはアメリカの音楽のトップ、グラミー賞!カッコいいですね。

 

 

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