【発達障害】発達障害の僕が発見した、失敗しない「転職先の選び方」

「難関資格で一発逆転してやろう」は危ない
発達障害で仕事がうまくいかず、会社を辞めることになった。二次障害でうつになり、職も失った。そんな状況からの「再起」に最も重要なものとは何か。

それは「一発逆転マインド」を可能な限り排除することです。

いや、痛いほどわかります。僕も30歳を過ぎて借金を抱えて無職でうつだったので、「マトモなやり方でこのどん底から出られるのか?」という感覚、もっとハイリスクな一か八かをやらなければいけないのではないかという焦燥感は本当に強かったです。

大変にお恥ずかしい話をさせていただきますが、当時僕が最初に考えた「再起プラン」は準備運動がてら宅建士資格を取り、その後税理士や弁護士といった難関資格に挑むというものでした。今思うと恐ろしいことを考えたな、という感じがします。本当にやらなくてよかったとしかいいようがありません。そもそも借金を抱えてそんな挑戦をする余裕なんてあるわけもなく、当時自分がなぜそんなことを考えたのか今でも全く思い出せません。ただひたすらに憔悴していた記憶があるばかりです。

でも、僕は残ったわずかな気力をかき集めて宅建の勉強を始めました。一応それなりの大学も出ているのだし、宅建士資格くらいちょっと勉強すれば取れるだろうと思ったんです。「うつで動けないときにもせめてそれくらいはしたい」。あなたにもこの気持ちは伝わるんじゃないでしょうか。

その結果は、本当に惨憺(さんたん)たるものでした。しばらく勉強から離れていたこともあるけれど、うつという病気は猛烈に人間の思考力を低下させるところがあります。あのときほど自分は「もうダメだ」と感じたことはありませんでした。

今思うと、税理士や弁護士などの難関資格を取ろうという僕の判断にはプライドを守りたいという心の働きが強く影響していました。要するに、難しい資格に挑戦している「ガワ」さえつくればプライドは守られるというやつです。僕は、地道な再起の最初の一歩を間違いなく「やりたくなかった」のです。

結局、僕は宅建の参考書を投げ出して、非正規雇用の不動産営業マンとして人生の再起をスタートすることになりました。しかも、その理由は自発的なものではなく、お世話になっていた人から「そろそろ仕事をしろ、見つけてきたから行け」といわれたから、というなんとも情けない代物です。

 

下っ端でも働いてみる

人生の再起においては、ゴールの見えない道に向かって歩き出すことがまずは必要になります。具体的には、「アルバイト、または中小企業の非正規社員、あるいは正社員の新人、つまり一番下っ端の立場から働けるところでもう一度働く」ということです。

僕自身、非正規雇用の営業マンという立場からもう一度出直すというのは、なかなか辛い決断ではありました。本当に恥ずかしいお話ですが、これは正直にいわなければいけないことです。新卒で働いた職場の1000分の1の規模もない小さい会社の、そのまた一番下っ端から働くというのはやはり精神的にラクなことではありませんでした。

今思えば、あの職場で働いた日々こそが僕を再起させてくれたことは間違いありません。それでも当時は、新卒で入った会社や、その後の会社経営の日々で培われたある種の傲りのようなもの、そして「この仕事をして自分に未来はあるのか」という無力感はやはり避けがたく発生しました。仕事に貴賤はないし、雇ってもらえるだけありがたいと思え。それは大正論です。しかし、人生を転げ落ちてやり直すときに、もう一度一番下から山を登り始めるとき、この感情が胸に去来しない人など一人もいないのではないかとさえ思います。

でも、その一方で発達障害者としての僕はこうも思います。どんな職場でどんな立場であれ、「普通に働ける」ってものすごいことなんだよ、と。僕のような「普通に働く」ことすらずっとできなかった人間にとって、それは無限の可能性のとば口ですらあります。なんであれ働くことができれば、お金をもらいながら「知識」「経験」「関係性」を得られます。そして、人生のチャンスというのは往々にしてそういう場所から生まれてくるのだと僕は思うのです。

(中略)

「あたりまえ」がやれないあなたへ
みんながあたりまえにやれていることがうまくやれない。人生がまるでうまくいかない。僕は若い頃、漠然とそう感じていました。「まともな人」があたりまえとしてこなす日常的な物事は、どれもこれも僕にとってあまりに過酷なもののように思われました。

いつも部屋の中はめちゃくちゃでした。出かけようと思っても、アイロンのかかったシャツも清潔な靴下の一足もなく、かばんの中からは大事な書類がいつも消失しました。電気やガスはしばしば止まり、住民税の滞納金を何度も払いました。朝は起きられず、夜は眠れず、いつも何かに追い立てられているような焦燥感を感じていた気がします。

実際のところ、いつも何かに追い立てられていました。それは払い忘れたままずっとテーブルに放置された請求書や、クリーニングに出し忘れたスーツ、目を覚まして仕事に向かわなければいけない朝、税金や年金といった行政手続き、冷蔵庫の中で腐っていく食材、たまりにたまった洗濯物、そういったものでした。

かつて発達障害と診断されたとき、僕の生活におけるさまざまな問題が発生する理由について、深く納得できました。「なるほど、そういうことだったのか!」という感動を今でも覚えています。しかし、それがわかったところで「問題」は相変わらず存在し続けていました。今のところ、発達障害を「治す」のはあまり現実的ではありません。となれば、障害を抱えたまま人生をうまくやっていくためのノウハウをつくりだしていく以外に、結局のところ選べる道はないのです。

https://diamond.jp/articles/-/244236 DIAMOND onlineより引用

 

エナベルで就労移行支援を受けています、ウサギのTです。

元の職業がハイレベルならハイレベルなほど、一発逆転思想はありそうですね…。プライドがあるからどうしても下っ端にいけなさそうです。

でも、この方の云うように、二次障害でうつになってる方は特に、難関資格で一発逆転はかなり難しい道です。

うつになるとなかなか頭の動きが捗らない…。焦れば焦るほど、壁は高くなっていきます。

だからその自分の中のプライドをかなぐり捨てなきゃならないって事ですね。

プライド高ければ高いほど、本当にきついと思いますが、そうでもしないと道は開けません。

働くことが大事なんです。

これは発達障害の方だけの問題ではないとは思いますが…。

私は不安障害の二次障害でうつですが、障害を抱えているとなかなか普通に過ごすことさえ難しいですからね。

ましてや働くとなるとハイレベル。

普通に働く事。とても大事なことですよね…。

 

 

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