【発達障害】学級委員の秀才少女が「陰キャ」に転落した顛末
子どもの頃のTさんは、みんなの憧れの的だった。成績抜群だったうえに、いつも学級委員としてリーダーシップを発揮し、誰にでも親切だったので、人望も厚かった。しかも、容姿も端麗で、運動も絵も書道も立派にこなし、ピアノの腕前は音大に進むことを勧められるほどだった。しかも、実家は会社を経営する地元の名士で、どんな人生が待っているのかと羨うらやまれるばかりだった。
そんなTさんが、実は深い心の亀裂を抱えて暮らしていたことなど、誰も思い及ばなかっただろう。
不幸の始まりは、Tさんが三歳のときに両親が離婚したことだった。その一年ほど前から、両親の間はぎくしゃくしていて、母親は、下の妹だけ連れて、よく実家に帰っていた。そんなときも、またその後、母親がいなくなってからも、Tさんの面倒をみてくれたのは祖母だった。家にはお手伝いさんや従業員が始終出入りしていて、いつも賑にぎやかだったので、母親を失った寂しさを強く感じた記憶はない。
むしろ本当の試練は、五歳のとき、父親が再婚し、継母がやってきてからだった。
最初のうちは、継母も優しかった。可愛くて、賢くて、はきはきしたTさんを、継母は気に入って、ことさら大事にしてくれたのだ。
幼いながらにTさんも、継母に気に入られようと頑張った。継母が褒めてくれるのがうれしかった。
産んでくれた母親の記憶が薄れるにつれ、自分にとっての母親は、この人だと思うようになっていた。
弟が生まれた頃から家庭内で四面楚歌に
それが変わり始めたきっかけは、下に弟ができたことだった。弟が生まれると、母親の態度が明らかに変わってしまった。まだ小学校に上がるか上がらないかだったが、母親の眼中に自分がないことを、Tさんは感じるようになった。
それでも、祖母が生きていた間は、まだましだった。小学校二年の三学期、Tさん姉妹の後ろ盾となってくれていた祖母が亡くなった。祖母がいなくなると、Tさんに対する継母の態度は、目に見えて冷たいものとなった。
さらに、追い打ちをかけたのは、父親の会社の経営悪化だった。継母にしてみれば、子どもがいるバツイチの男にわざわざ嫁いできたのは、金に不自由はさせないという言葉に惹かれたからでもあった。それが、とんだ空約束となった今、騙だまされたという怒りが、Tさんへの冷たい仕打ちとなって表れたようだった。
何かあるごとに、継母はTさんの陰口を夫や周囲に言うようになり、それを真に受けた父親から、事情も聞かずに、いきなり怒鳴りつけられたり、折檻せっかんされるようになった。下の弟に対する態度とのあまりの違いに、悲しくなって、ベッドでひそかに涙することもあった。いつしか継母や父親の顔色をうかがうようになっていた。
かつての快活な少女が、不注意でぼんやりした女性に
寝る間も惜しんで頑張るのだが、落ち込んでしまうと、二、三日、動けなくなるということが、しばしばみられるようになった。不注意な忘れ物をしたり、提出物が期限に間に合わないということが目立つようになったのも、中学、高校くらいからである。
かつての生き生きして、活発で、しっかりしていた少女は、どこか薄ぼんやりして、物思いに沈み、陰気なところのある女性に変わっていった。忘れ物、遅刻、不注意なミスは、その後、いくら気をつけても、良くなるどころか、段々ひどくなった。
それでも、高校は、その地方で三本の指に入る名門校に進んだ。大学も、地元の国立大学なら医学部も受かると言われたが、継母が地元の大学をいつも貶けなしているのを知っていたので、旧帝大系でなければダメだと思い、無理をして受験するも、不合格に。もう一年挑戦したが、体調も優れず、受験に失敗。
結局入学したのは、東京にある私立大学だった。結果を報告すると、案の定、継母からは、蔑さげすんだような冷ややかな声で、入学金以外は面倒みられないと言い渡された。
(中略)
Tさんのように、片付けができない、不注意でミスばかりする、衝動的に行動して失敗するといった「症状」で悩んでいる人は少なくない。大人の半数が、不注意の「症状」を抱えているともいわれている。
Tさんのような症状を訴えて、医療機関を訪れると、簡単なチェックリストをつけさせられたうえで、しばしば与えられる診断名が「大人のADHD」である。
ADHDは、発達障害の一つで、多動や衝動性、不注意を特徴とし、先天的な要因の強い障害とされる。元来子どもの障害と考えられてきたが、Tさんのように大人でも、不注意や衝動性、落ち着きのなさといった問題で苦しむ人が増え、大人にも「ADHD」の診断を拡張しようという動きが強まった。
子どものADHDには、中枢神経刺激薬などのADHD改善薬が処方されることが多いが、こうした薬剤を大人にも使うためには、診断を拡張する必要があったのだ。
アメリカ精神医学会は診断基準を変更して、それまで児童に限定して適用していたADHDという診断を、大人にも適用できるようにした。日本など、多くの国がそれに追随した。それにより、児童にのみ使われていたADHD治療薬が、大人でも使えることになった。
その代表的な薬剤である中枢神経刺激薬は、覚醒剤などと同じ作用を持つが、覚醒剤よりゆっくり作用するように工夫されている。興奮や快感を生じない範囲で、前頭前野の働きを高め、不注意や衝動性を改善しようというのである。
(中略)
「大人のADHD」の正体は「愛着障害」
「大人のADHD」は、気分障害、不安症、依存症、パーソナリティ障害などが、間違って診断されたものか、未知の障害の可能性も示唆された。その正体は、さまざまな病名の寄せ集めに過ぎないのだろうか。
だが、さまざまな病名の根底には、共通する一つの本質的な問題があると思われる。それは、Tさんが苦しみ続けている本当の病根、すなわち養育者との離別や、養育者からの身体的、心理的虐待、ネグレクトによって生じた愛着障害である。
愛着障害は、頻度に男女差がないという点、さまざまな精神的合併症や困難を抱えやすいという点、神経レベルの障害がさほど重度でないにもかかわらず、生活での困難が非常に大きいという点、つまり障害と生きづらさの乖離かいりという点でも、「大人のADHD」と呼ばれているものと、よく一致する。
そして、実際に臨床で、「大人のADHD」を疑って来院する人たちの生活史を見ていくと、彼らが親との関係に苦しみ、虐待的状況に置かれてきたことが明らかとなることが、非常に多いのである。
https://president.jp/articles/-/30058 PRESIDENT Onlineより引用
エナベルで就労移行支援を受けています、ウサギの方のTです。
この女性のように子供の頃は天才少女でみんなの憧れだったのに、大人になって性格が変わってしまったという話はよく聞きます。
まさかその間にADHDがあったとは。しかもそのADHDの原因は愛情障害だったとは。
彼女の転機を読んでいくとああなるほど…と思いますが、ADHDの人は往々にして愛情障害…なんでしょうか?
私の親類のADHDの人は愛情障害と認定されてもおかしくはなかったですけど…。みんなそうなんでしょうかね?
親との関係ってビミョウですからね。親は子供を選べても、子供は親を選べませんからね…。