【潜在意識】自分が嫌いな人が自分自身を受け入れられる思考法【自愛】
どうも、就労移行支援を受けているMです。
皆さん、自分のことは好きですか? ※赤い部屋は好きですか?ではございません
自分の良いところも悪いところも受け入れられると現実も変わるんです。
自分が嫌いな人が自分を受け入れられるようになる9つの思考
自分が嫌い。
自分が憎い。
自分の弱いところ、ダメなところ、できないところ、情けないところ、苦手なところ。
そんな部分が目立って、どうしようもなく自分が嫌い。
自分には何もできない。
自分には生きている価値が無い。
そんな風に、辛く、苦しく、もがいている方がいるかもしれません。
今回は、どうしようもなく「自分が嫌い」で、どう考えても自分を受け入れることなんてできないという時に知ってほしい考え方をご紹介していきたいと思います。
どうして自分を嫌いになっているのか
自分のやりたいことを抑えてしまっている
要因の一つは、『自分が本当にやりたいこと』を抑えて、後回しにして、おざなりにしてしまっていることが挙げられます。
自分のやりたいことをやらずに、やりたくないことをやるということを続けていると次第に嫌気が差していくのと同時に「自分の気持ちは蔑ろにされてしまうものなんだ」「自分はどうでもいい存在なんだ」と思い込みはじめてしまうのです。
表面上はやりたいことをやっていたとしても、心のどこかに「本当にやりたいこと」を隠して、抑えて、「そんなことをやってはいけないんだ」と自分に言い聞かせ続けているとどうしても自分のことが嫌いになってしまうのです。
自分には価値が無いという思い込みをしている
自分が嫌いという人の多くは、「自分には存在価値が無い」「自分には何もできない」「自分は許されない存在」「自分は悪人」といった思い込みをしていることがあります。
きっかけは人によって様々ですが、子供の頃などに親や学校、友人やテレビで言っていたこと、言われたこと、経験したことをきっかけに「自分はダメなところしかない」と思い込み初めてしまったのです。
私たちは得意なこと、得意じゃないこと、やりたいこと、やりたくないこと、できること、できないことが人それぞれありますが、自分が嫌いという時はどうしてもネガティブな部分ばかりが目に入ってどうにかしようとして、自己否定を繰り返してしまうのです。
何事も完璧でないと自分を許せなくなっている
あれも頑張って、これも自分でして、もっと頑張って、もっと完璧に、もっと、もっと…。
そうやってなんでもかんでも完璧に、一人で、すべてをこなそうとしてもどうしても限界があります。
自分の不得手なところや苦手なところ、少し抜けているところなどを受け入れられず、そして自分の思う完璧にたどり着けなかった時に、自分のことを激しく避難して、批判して、傷つけていくのです。
小さなことから大きなことまでそうやって自分のことを傷つけていくと、自分の中で自分のことをどんどん嫌いになってしまうのです。
自分が嫌いな人が自分を受け入れられるようになる9つの思考
自分を嫌ってもいい
自分を嫌ってもいい。
自分と仲良くすごすことができれば楽ですが、どうしようもなく自己嫌悪に走ってしまう時は、自己嫌悪しましょう。
どうしても受け入れられない、どうしても嫌、どうしても。
そんな時はその気持ちをそのまま垂れ流してしまったほうがよいこともあります。
ネガティブな部分・気持ちは解決しなくていい
自分が嫌いだと言う人は、「あれができれば」「これが手に入れば」「もっとポジティブになれば」「解決すれば」自分を好きになれるのにと考えがちかもしれません。
その『たら・れば』は全てやらずに放っておいてもよいのです。
ネガティブだと感じる部分、できないこと、苦手なこと、悲しい気持ち、辛いこと、嫌なこと、ダメな部分。
それら全て、そのままにしておいてもよいと意識してみましょう。
やりたいこと・やりたくないことを、素直にやって、やめてみていい
やりたいこと・やりたくないこと、それらを自分の心にひとつひとつ訊ねながら素直に行動していってみることもオススメします。
長年自分の気持を抑えてしまっていた場合、簡単には自分の気持ちが分からないこともあります。
その時はそれでもよいのです。
あれがしたいな、これがしたいな、あれはやめたいな、これはやりたくないな。
いきなり大きなことはできないかもしれませんが、日常の些細なことからでも自分の気持ちに従っていくと、少しづつ、自分のことを知って、嫌いな気持ちが和らいでいきます。
べき論、正論、常識、普通に従えなくてもいい
普通の人はできるのに、自分にはできない。常識ではこうなのに、嫌だ。こうするべきかも。
そういった正論・常識・べき論に従ったり、忠実にできないことがあってもいいのです。
『普通』というよく分からない枠組みから外れてもよいと知っておきましょう。
同時に、普通であってもよいのです。
どちらを選んでもよいと自分に許していきましょう。
できないことがあっても自分は素晴らしい存在である
自分が嫌いな理由が、何かができない、ダメな部分がある、弱いところがある、失敗した過去がある、情けない、といったことであれば、それらは決して『悪いこと』ではありません。
ダメなあったり、できないことがあったり、思うようにいかない部分があったとしても、決して価値がない人間ではないのです。
どれだけ情けないところがあろうと、ダメなところがあろうと、素晴らしい存在です。
信じられなくてもよいのです。
もしかしたら、自分はそれほど悪くないのかもしれない、と疑ってみましょう。
親や他人の期待に沿えなくてもいい
もしかしたら、親や身内、友達や恋人の期待に沿えない自分を厳しく裁いているかもしれません。
誰かの言うような立派な人間になれなかった。
学歴も、外見も、好みも、きちんとできなかった。
そんな自分をとことん嫌っているかもしれません。
しかし、誰かの期待に沿えなくてもよいのです。
期待に沿わないことと、自分自身の素晴らしさは関係ありません。
誰かの思うように生きなくてもよいのです。
自分が期待に応えたければ応え、もし違うことがしたかったり、沿えない部分があるのならばそれでよいのです。
あなたはあなたです。
人を嫌ってもいい、どれだけ黒い自分がいてもいい
人を嫌ったり憎んだり、他人に対して黒い感情を抱く自分を許せないことがあるかもしれません。
しかし、それらの感情もそのままでよいのです。
それらの感情もひとつひとつ、自分自身のものです。
そのまま、やりたいことをやったり、伝えたいと思ったことを伝えてみましょう。
何も、欠けていません。
何も、直すところなどないのです。
自分と他人・感じること・起きることからコントロールを手放す
自分を嫌いになる感情は、『そのまま』『素のまま』から自分が離れれば離れるほど大きくなっていきます。
(中略)
人に対して無理に辛く当たろうというわけではないのです。
しかし、『自分がどうしたいのか』を考えて、一つ一つ行動していくと次第にぶつかることも出てくるでしょう。
それらの出来事、自分、他人、過去、未来。
そういった一つ一つを、思い通りにしようとか、期待通りにしようとか、コントロールしようとか、もう思わなくてもよいのです。
『自分はどうしたいのか』『自分は何をやりたくないのか』を見つけていきましょう。
どうせ、ちゃんとしても、ちゃんとできなくても、素晴らしいから
親や周りの人から「ちゃんとしなさい!」「どうしてできないの!」と言われたり怒られたりすると縮上がったり、または「うるさい!」「そんなことない!」と反発心・怒りが吹き出てたまらなくなってしまうこともあるのではないでしょうか。
その感情もそれで良いのですが、同時にそれらの言葉は『自分が自分に言っている言葉』でもある可能性があります。
(中略)
「どうせ自分はちゃんとしていないと受け入れてくれない」「どうせ自分のちゃんとできる部分しか受け入れてくれないんだ」「もっとちゃんとしていない部分を受け入れてよ!」という言葉が、無意識のうちに自分の行動として生活に表れていることがあるのです。
無理に「ちゃんとできない部分がある自分」を出して、それを「いいよ」と言ってもらえないことによって「やっぱり自分のできない部分は出しちゃダメなんだ」と確認しているのです。
相手の反応は「自分の素晴らしさ」とは関係がありません。
そして、相手の反応をコントロールすることもできません。
自分を責めてみる
「自分はなんてダメな奴なんだ!」「おまえはちゃんとしていない!」「バカ!」といった言葉を自分に投げかけましょう。
とても辛く、苦しく感じるかもしれません。
しかし自分をしっかり責めると、だんだんと「そうか、自分はしっかりしていないところがあるんだ」「そうだ、自分にはできないところがあるんだ」ということを受け止められるようになってきます。
それでもいいんだ、ということを感じ始めるのです。
責めて、それでも素晴らしくて、大丈夫になる
自分のできないところ、劣っていると思われるかもしれないところを今まで隠そうとして苦しかったかもしれません。
そしてそれを自分で責めて、それでも素晴らしいんだよ、それでも大丈夫なんだよ、ということを自分に言い聞かせていくと、自分の欠点だと思っていたところを隠したり、身構えたりする必要がなくなっていくのです。
もちろん、人から怒られたり、嫌われたり、何かを言われることもあるでしょう。
それでも、素晴らしい存在であることに代わりはありません。
どんな自分でも、全方位存在していてよいのです。
その中で、自分がどうしたいか、を選び取ってもいいのです。
まとめ:見失いかけていた自分と向き合って、仲直りしよう
自分が自分のことを嫌いになるのは、自分と向き合い直すチャンスかもしれません。
「どうして分かってくれないの」「どうして思い通りに動けないの」「自分が嫌い」「もう何もかも投げ出したい」。
それらは、心の叫びでもあります。
「本当はもっとしたいことがあるのに」
「本当はもっと自分自身の声を聞いてほしいのに」
「本当はもっと優しくしてほしいのに」
「本当はもっと自分自身を受け入れたいのに」。
自分が嫌いで仕方がないという瞬間は、どうしようもない気持ちになることでしょう。
それでも良いのです。
そんな時もあるのです。
(中略)
日常の、些細なことでも、「なんとなく自分はこう思うな」「なんとなく自分はこうしたいな」と感じればそれを優先していってあげましょう。
小さな行動は、次第に大きな行動に変わっていきます。
その時も、出来る限り『自分の声』を優先してみましょう。
失敗してもいいのです。泣いてもいい。
笑われてもいい。それに対して怒ってもいい。
うまくいかない時もある。悲しいこともある。
良い時もあれば、批判される時だってある。
それら全てが許されていて、どっちに転んでも良いのなら、「どうしたい」でしょうか。
「僕は、私は、自分は、こうしたい」「これはしたくない」。
その声に耳を澄ませて、動いていくことが、自分と仲直りしていくきっかけになるでしょう。
ネガティブをしっかり感じ取って、嫌いな時は嫌いになっても良いよ~(*‘∀‘)
ってことです。
もともと自分のことが嫌いな人は無理やり自分のこと好きになるって無理ですからね(=_=)
まずはとりあえず嫌いになっておけば良いのではないか、と思います。
そこからどう持ち直すのかは貴方次第。
私はネガティブをきちんと消化できてると思いきや、休日の出来事から消化が中途半端なことに現実から気付かされて、湧き出るネガティブ感情をしっかり消化している段階です。
消化が中途半端になっていると、現実も良いのか悪いのか中途半端なものになるんですねぇ。
潜在意識はよく分かってますね、ホント( ^ω^)・・・
試行錯誤を重ねることで自分の幸せも見えてくると思います。
自分自身をプラスに変えていくということは、自分のネガティブとうまく向き合うことです。
やり方は皆さんの自由。
皆さんもネガティブに押し潰されそうになった時、引用元のような思考法を使ってみてはどうでしょうか?