【引きこもり】親の介護、突然の解雇…「中高年ひきこもり」は他人事じゃない
「ひきこもり」は誰の身にも起こり得る
ひきこもり、それも、中高年のひきこもり(40歳~64歳までのひきこもり。以下、「中高年のひきこもり」とします)の数が約61万3000人と報道され、大きな話題となりました。
私はこの約61万3000人のひきこもりは、日本社会が抱える様々な問題の答えであると考えています。
この様々な問題を紐解いていくと、ひきこもるということが人間として正しい反応であるとも思えてくるのです。
「中高年にもなってひきこもっている」といえば、仕事もしない怠け者で、一日中家でブラブラしていて風呂にも入らず、ときどき親に暴言を吐いたり、暴力をふるったりしているのだろう…。
多くの人たちがそのようなイメージで、中高年ひきこもりの方たちをとらえているのかもしれません。
そして、そのようなイメージでひきこもりをとらえている限り、ひきこもりは自分にはまったく関係のない他人事にしか感じられないでしょう。
しかし実際は、ひきこもる人たちの多くが、以前まで長年まじめに働いてきた、まっとうな社会人だった人たちなのです。
なのに、中高年になって突然、職を失い、しかも、がんばっても、がんばっても、まともな再就職先をみつけられなかったとしたら……。
よほど強靭な精神の持ち主でない限り、心がボロボロに傷ついて外へ出られなくなる可能性は十分に考えられると思います。
定年まで安心して働ける、日本独特の終身雇用制はすでに崩壊しています。
誰もが突然、リストラに遭う可能性がありますし、長期不況のなか、再就職の道も閉ざされがちです。
このような状況では、ひきこもりは誰の身にも起こりえますし、中高年のひきこもりは他人事として片づけられるような問題では決してなく、誰もが「自分事」としてとらえ、考える必要のある事象と言えるでしょう。
「中高年ひきこもり」は2つに分けられる
失職や病気、大切な人の死などをきっかけに、人は誰しもひきこもりになる可能性があります。
そのため、ひきこもりは決して他人事として片づけられる問題ではないのですが、ひきこもる人たちには共通項が見受けられるのも確かです。
いったいどのような人たちが、どのような過程を経てひきこもっていくのでしょうか。
ひきこもりといえば、若年層(15歳~39歳)のものというイメージが一般的でしょう。
実際、内閣府はひきこもりの実態を過去に2回、調査していますが、いずれも若年層を対象にしていました。
しかし、ひきこもりの長期化や高齢化にともない、どうやら中高年層(40歳~64歳)にもひきこもっている方たちが多くいるようだと考えられるようになりました。
そして、内閣府も2018年には中高年を対象にひきこもりの実態調査を実施したのです。
その結果から、従来の若年層では見られなかった、中高年に特有の「新しいタイプのひきこもり」が浮かびあがってきました。
もちろん、新しいタイプのひきこもりの方がいるいっぽうで、従来の若年層と同様のタイプのひきこもりの人たちも見られます。
まず、「従来のタイプ」は思春期から20代前半における挫折によってひきこもり、そのまま中高年までひきこもっているタイプ。
もしくはぶり返し(ひきこもりから抜け出したあとで、再びひきこもってしまうこと)が続いた結果、ひきこもりが固定化したケース。
本人の繊細な資質や性格的な傾向、不適切な養育経験、いじめや人間関係トラブルなどによるところが比較的大きいひきこもりを指します。
これまで論じられてきたひきこもりの多くは、こちらに相当すると言えるでしょう。
一方、「新しいタイプ」は、雇用状況などの社会的要因や、職場などでのパワハラ・セクハラ、親の介護を含めた環境要因によって、ひきこもらざるを得なくなったタイプ。
個人の資質以上に社会や国の経済政策の失敗等が抱える諸問題が影響しているのが特徴で、これまであまり扱われることのなかったという意味では、新しいタイプのひきこもりと言えます。
もちろん、ひきこもりになる原因やきっかけは人それぞれですし、性格的な要素や社会的な背景などが複雑に絡み合っていますので、完全に分けられるものではないことは承知しています。
それを踏まえた上で、この2つのタイプのうち、中高年のひきこもりでとくに注目したいのは、後者の新しいタイプでしょう。
このタイプに属する人のほとんどが、ひきこもる以前は、正社員として働いてきた「一人前の社会人」でした。
しかし、なんらかの理由でひきこもってしまったのです。
新しいタイプのひきこもりの方々は、ひきこもりを「自分の事」として考えるべき問題として、私たちに突きつけてくれていると感じます。
「アイデンティティの弱さ」がひきこもる人の共通点
中高年のひきこもりは2つのタイプに分けられるいっぽうで、タイプを問わず、ひきこもる方々に共通して見られることがあります。
「アイデンティティの脆弱さ、曖昧さ」です。
若年であれ、中高年であれ、また、ひきこもってしまったおもな要因が本人の資質や性向に帰するものであれ、あるいは、雇用問題などの社会問題の反映であれ、ひきこもっている方々のほとんどが、アイデンティティが脆弱で曖昧な状態にあるのです。
では、そもそもアイデンティティとはなんなのでしょうか。
「アイデンティティ」には「自我同一性」という日本語があてられ、「自分が自分でいい、そして社会からもそんな自分(あなた)でいいと思われているであろう確信」を意味します。
つまり、アイデンティティは2つの要素から成っていて、1つが「自分が自分でいい」という感覚で、これは「自己肯定感」と言いかえることができます。
そして、あとの1つが、社会からも「そんなあなたでいい」と思われているであろうという確信です。
多くの場合、この2つはたがいに連動し、あるいは、補完しあう関係にあります。
社会的に自分が認められているという感が高まると、自己肯定感も強化されますし、逆に、社会的に認められているという感覚が低ければ、自己肯定感もそれにつれて低くなりがちです。
具体的には、たとえば、望む仕事に就けたことで、社会に認められているという確信が高まると、多くの人たちは自己肯定感も高まりますし、会社を解雇されて無職の状態が長く続いたりすれば、社会から認められている自分という感覚が曖昧になり、そのことによって、それまでは高かった自己肯定感が低下する人も多いでしょう。
つまり、アイデンティティという名の土台が堅固であれば、社会に出たときも、多少の困難に遭遇しても揺らぐことなく、安定して立っていられます。
しかし、それが脆弱だと、衝撃を受けたとき、たとえそれが小さなものであっても、土台が揺らぎだし、その上に立っている人間もグラグラと揺れてしまうでしょう。
このような不安定な状態のまま外へ出ていくのは大きな不安と恐怖を伴うので、家に閉じこもってしまう…。
ひきこもりがアイデンティティを獲得できていない状態(これを「アイデンティティの拡散状態」と言います)にあるというのは、そういう意味なのです。
https://seishun.jp/entry/20210114/1610614800 青春オンラインより引用
エナベルで就労移行支援を受けています、ウサギのTです。
私も、一時、親の介護を含めた環境要因によって、ひきこもらざるを得なくなった引きこもりでした。
私の場合は、少し働いていたのですが、親の認知症の進行によって引きこもらざるをえなくなった感じですね。
とにかく何を親がするのかわからないので、ずっとついていないといけなかった感じです。
ずっとは疲れてしまうので、ホームヘルパーさんや、デイサービスやショートステイを利用したりして介護を手伝ってもらってました。
やっと親をグループホームに入れて、自分の時間を手に入れたわけですが、
その時には長く社会から離れていて、すっかり外の世界が怖くなっていました。
アイデンティティが脆弱だと、衝撃を受けたとき、たとえそれが小さなものであっても、土台が揺らぎだし、その上に立っている人間もグラグラと揺れて…。
…とありますが、多分親の介護をずっとしている間に脆弱になっていったのでしょう。
毎日毎日いつ寝ていいのかわからず、あやふやな生活を送っていたのですから。特に夜は眠れなかったですね。
外に勝手に出ていってしまうので…。
引きこもりには2タイプがあると述べられてますが、間違いなく私は引きこもりの「新しいタイプ」なのでしょう。
私も従来の引きこもりの人たちと同様に戦ってました。自分に、親に、生活にと。
だから、引きこもりは誰にでも起こりえるものなんだと自分の経験があるだけに納得してしまいます。
引きこもりの人は特別な人じゃないよ…と。