【引きこもり】パニック障害で8年間のひきこもり地獄。克服のため課した逃げ道のない「二者択一」【パニック障害】
田澤光太郎さん(32)のケース
「あれ以上の地獄はなかった。外に出たいけど出れば気持ちが悪くなるから出られない。
“ひきこもる”のはつらかったけど、ひきこもらざるをえなかったのも事実なんです」
そう話すのは埼玉県に住む田澤光太郎さん(32)。現在はアニメーターとして制作会社に勤務する。
多忙ながらやりたいことを仕事にできた彼だが、その道のりは長く険しいものだった。
体調不良で早退を繰り返すように
会社員の父と専業主婦の母、姉ふたりの末っ子として生まれた田澤さんは、活発な子だった。
小学校のときはサッカーが大好きで、「給食と休み時間が大好きな」クラスの人気者だった。
ところが6年生になったある日、なぜかけだるさを覚えて学校を早退。
それ以来、体調不良が続いて早退を繰り返した。
運動会や行事が続いて疲れたのかと思っていたが、「明日はちゃんと行くぞ」と思って寝ても、起きると頭痛がひどい。
「子どもながらに何が起こっているのかわからない。学校に行っても給食が食べられない。
ひどく気持ちが悪くなって吐きそうになる。あんなに大好きだった給食の時間が苦痛になって、午前中だけで帰るんですが、帰ってしまったらサッカーができない。
でも気持ちが悪くなるからしかたがない。そのうち、今にも吐くのではないかという恐怖感にさいなまれるようになりました」
病院に行っても、「風邪」という診断しか下らない。「気持ちが悪くなると思うのは気のせい」だとも言われた。
だが、明らかに風邪ではないと田澤さん自身が確信していた。結局、学校へ行けなくなって家にひきこもるようになった。
「ときどき学校の先生が来てくれたんですが、朝、僕は家でパンを食べていたりするわけです。それを見て『食べられるじゃないか』と。
でも学校へ行くとやはり気持ちが悪くなって給食の時間はいられない。
自分でもどうしてなのかわからないんです。歯がゆくてたまりませんでした」
それでも最初のうちは学校から帰ってきた友達と遊んだりしていた。
新しくできた大きなスーパーにみんなで行ってみたら、人の多さに恐怖心を覚えて突然、気持ちが悪くなった。
そうなると2度と同じ場所へは行けなくなる。
それどころか、近所の小さなスーパーにさえ行くことができない。「スーパーは気持ちが悪くなる」という経験則が自分の中に根づいてしまうからだ。
「行動範囲はどんどん狭まっていき、中学に上がるころにはまったく家から出られなくなっていました」
彼の切迫感に、聞いているこちらも胸が苦しくなっていく。
「両親も心配はしていましたが、どうすることもできない。病院では身体に異常がないと診断されるわけですし。
両親はうるさいことは言わずに見守ることに徹してくれた。とてもありがたかったです。ただ、それだけに申し訳なさも募っていきました」
8年外に出られず、20歳を迎えて…
中学には1度も行っていない。家にこもっていると登下校で外を通る同世代の声が聞こえたりする。それが彼の焦りに拍車をかけた。
「そうなるともう、アニメやゲームに逃げるしかない。でも逃げながらも、みんなに置いていかれる不安があるんです。
朝起きてゲームを始めるんだけど、内心は恐怖感しかありません。年をとるのが怖かった。
そのうち昼夜逆転して、起きると夕方になっている。もう、うつ状態ですよね。
今でも休日にうっかり寝坊して昼まで寝てしまうと当時の絶望感を思い出します」
無限ループに入り込んだ心境だったと彼は遠い目になる。親は見守ってくれたが、当時の姉たちは辛辣だった。
「あんたはいいよね、ひたすら家にいてわがままに過ごしてと、よく言われました。そう見えたんでしょうね」
中学時代にパソコンを手に入れ、『パニック障害』という言葉を知った。
自分がぴったり当てはまるとわかったものの、症状が改善されたわけでもない。
高校にも行かないまま、彼は20歳を迎えた。実に8年間、家からほぼ一歩も出なかったのだ。
自傷や希死念慮はなかったものの、気持ちが荒れて自室で暴れたこともある。壁には今もいくつか穴があいているという。
(中略)
8年ぶりに他人と話すことができた
そんなとき、年上の旧友から電話がかかってきた。
「ドライブに誘われて。最初は断ったけど何度も誘ってくれるので意を決して行ってみたんです。
8年ぶりに他人と接したんですが、ごく普通に話すことができた。それは大きな自信になりました。
恐怖感はあったけど、なんとか先に進めるかもしれないと、かすかな希望がわいてきた。
翌日も、その人とゲームをしに行ったんです。2日続けて人に会って他人に対する怖さが少しだけ薄れました」
もっと別の場所に身を置いてみたいと思った田澤さんに、親が手を差しのべてくれた。
保健所や職業訓練所などに連絡をとってくれたのだ。そして、地域の活動支援センターにつながった。
「そこに1日中いられる“居場所”があって通うようになりました。
同じようにひきこもっている人にも出会って、フットサルチームを作ったり、お互いの家に行ってゲームをしたりひきこもっているときのことを話したり。
たくさんのことを吸収しましたね」
そのころ、病院でパニック障害の診断が下った。
薬ももらったが副作用が強いため、常用はせずに「お守りがわりに持っていた」という。
その後、その居場所のスタッフが経営している喫茶店でアルバイトをするようになった。
(中略)
25歳、意欲に満ちあふれた高校生活
10歳年下のクラスメートと一緒に学生生活を謳歌した。
美術部に入って好きだった絵を描き、文化祭では委員長も務めたし、10歳年下の彼女もできた。
とにかく何でもしてやろうという意欲に満ちあふれていたという。
「本能のままに動き始めた感じ(笑)。
とはいえ、やはり人との距離の取り方がおかしいとわれながら思うこともありました。
好きな子にいきなり告白してストーカー扱いされそうになったこともあったし、女の子のグループに急に話しかけてドン引きされたり」
そうやって適切な距離を学んでいったのだろう。
そういう経験をする機会を逸して大人になった田澤さんにとっては、ひとつひとつの行動が、「死ぬかこれをやるかの二者択一」だったという。
「外に出てから常にそうでした。あの人に話しかけてみるか死ぬか、高校へ通うか死ぬか、いつもそうやって死との二者択一で、行動するほうを選択してきた。
ここでまたひきこもったらすべてが終わり。そう強く思っていましたね」
彼にとって、ひきこもることは、それほど“地獄”だったのだ。あそこに戻りたくない。その一心だった。
(中略)
「高校時代、僕は絵が好きだなと実感したんです。
ひきこもっているとき映画とアニメばかり見ていたこともあって、アニメを作る側にいってみたいと思っていました。
年齢的にハードルが高いとも思ったけど、思い切ってアニメの専門学校に通うことにしたんです」
アルバイトで貯めたお金で専門学校に入学。
2年間、1度も休まずに片道1時間以上の電車通学をやり遂げた。車の免許も取得した。
なによりアニメ制作を学ぶのが楽しかったし、外国人学生も多く、多様性があるところが彼に合っていたのかもしれない。
夢を叶え働く今も肯定できない過去
そして彼は望みどおり、アニメ制作会社に就職した。
採用理由は「(映像になることを)きちんと考えて絵を描いているから」。
加えて、彼のまじめさも評価された。1年間、動画部分を描く仕事をし、その後、少し格上の「原画マン」となる。
現在はコロナ禍で、在宅勤務が多い。
「夕方になって急に、この部分を明日の朝までにお願い、と言われることもあるんです。でも忙しいのは嫌じゃないですね。
まだまだ未熟ですけど、『あなた、うまいから背景描いて』なんて言われると本当にうれしい。
家で仕事をしていると、食事も気軽にできるから僕にとってはいい環境で仕事ができます。会社に行くと、どうしても食べない選択をしてしまうので」
ひきこもっていた8年間は、彼にとってエネルギーをためる時間だったのかもしれない。安易にそう思ったが、彼はまだそう考えることはできないという。
「今でも僕は、自分なんかが楽しんでいいのか、笑っていいのかと思っているんです」
言われて初めて気づいた。彼は柔和な表情でいつも微笑みを浮かべているのだが、そういえば大きく笑うことはない。
笑うのが怖い、本性を出すのが怖いという気持ちは抜けないのだという。
「不登校やひきこもりは親不孝だというイメージがあるでしょ。僕自身もそれにとらわれている。
ネットで知り合った人たちがひきこもりを悪く言っているのを聞いて裏切られたような気持ちになったこともあるし、世間がどう見ているかもわかってる。
だからずっと自分は楽しんではいけない人間なんだという気持ちがどこかに残っているんです」
外で傷ついたことによって、ひきこもってホッとする人もいるかもしれない。
それでもある程度の時間がたてば、今度はひきこもっていることがつらくなっていく。
ひきこもりは甘えだと言う人たちに、彼は「いや、地獄だよ」とアンチテーゼを突きつけている。
https://www.jprime.jp/articles/-/20049 週刊女性PRIMEより引用
エナベルで就労移行支援を受けています、ウサギのTです。
私もパニック障害で一時引きこもりになったことがあります。その時はこの方と同じように昼夜逆転して、うつ状態だったと思います。
私は仕事でパニック障害になって、胃もボロボロになり、退職して内科と心療内科に通っていました。
それでも外出は怖くて、ぼうっと家に居るだけの引きこもりには違いはありませんでした。
親もそれをわかっていたので、何も言いませんでしたね…。
早く立ち直ってくれることを待っていたんだと思います。
この方は旧友の電話で外に出ることが出来て、社会とのつながりを取り戻しました。
保健所や職業訓練所などに連絡をとってくれ、そして、地域の活動支援センターにつながって変わって行ったと。
私は友達が声かけてくれたら、外出もできましたね。適当に遊ぶことも出来ていたような。
だけど、保健所とかには行かず、ダラダラとした引きこもり…というかニートですかね?そんな生活を送っていました。
私が変わったのは3.11の地震からです。トラウマも植え付けられましたが、頑張んなきゃならないというパワーも貰ったような。
外で傷ついたことによって、ひきこもってホッとする人もいるかもしれないと引用先に書いてありますが、私もそうだったのかもしれません。
ひきこもりは甘えだと言う人たちに、彼は「いや、地獄だよ」とアンチテーゼを突きつけている。私もとてもあの生活には戻りたくありません。
引きこもりは甘えじゃないです。戦っているんです…。自分自身と。少なくても私はそうでした。
パニック障害からも引きこもりになるんだ…ということを強く言いたいです。ハイ。