【今日は何の日】6月9日

読者諸兄、いつも拝読ありがとうございます。長尾です。
今から372年前の1648年6月9日。日本にて天台宗の僧侶『南光坊天海』が、日本初の木活字の経典『大蔵経』を完成させました。
南光坊天海は、安土桃山終期~江戸時代初期に存在し、徳川家康の側近として幕府の宗教政策に深く携わりました。彼は陸奥国会津郡の出自で、奥州の名家蘆名氏の一族であったと言われています。ですが、彼自身はそれを周囲に語ることなく、当時としても『幕府に関わる謎の怪僧』扱いされていたことが、様々な文献に記されています。
彼に関わる有名な説話の中に、『明智光秀説』があります。本能寺の変で織田信長を討った明智光秀が、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れ、落ち武者狩りに遭って落命しかけたところを、徳川家康お抱えの忍衆に救われ、以後は『南光坊天海』を名乗って家康を補佐した、という説ですが、後に作家の須藤光暉氏の調査により否定され、『蘆名氏の女婿、船木景光の子』であるとされています。
そんな南光坊天海ですが、徳川三代将軍家光の代まで幕府に仕えています。徳川幕府初期の基盤作りに貢献した一方、この時代に起こった宗教関係の出来事というと、歴史の授業でも出た『島原の乱』。島原の乱が1637年に勃発したのに対し、天海が入寂したのが1643年。つまりは天海の生存中に起きたことになります。となると、島原の乱発生の報を受けた将軍家光が、天海に意見を求めたかもしれない、という想像もできます。
こうした歴史のちょっとした共通点が、作家の創作意欲を沸き立たせるスパイスになり得ることを、かつて同人作家であった筆者は知っています。歴史の楽しみ方の一つですね。

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