【人間関係】「本質」を知るとは【人生】
どうも、就労移行支援を受けているMです。
グループワーク関連や福祉の記事で、しつこいぐらいに「本質」について書いていますが、そういや詳しく書いてなかった気がしますね(笑)
グループワークの先生もよく言っているのですが、本質を知ることに意識を向けると、世の中のことが理解しやすくなります。
自分を理解してもらいたいなら、自分の話をするな。人間関係の原則「傾聴」の本質とは?
共感によるコミュニケーションの原則
視力が落ちてきたので眼科に行ったとしよう。医者は、あなたの話をしばらく聞いてから、自分の眼鏡を外し、あなたに手渡してこう言う。
「かけてごらんなさい。かれこれ10年もこの眼鏡をかけていますが、本当にいい眼鏡ですよ。自宅に同じものがもう一つありますから、これはあなたに差し上げましょう」
あなたはその眼鏡をかけるが、ますます見えない。
「だめですよ。全然見えません!」とあなたは訴える。
(中略)
「まったく、何という人だ! 私がこんなにもあなたの力になろうとしているのに」と医者はあなたを責める。
あなたは、もうこの医者に診てもらう気にはならないだろう。
診断もせずに処方箋を出す医者など信頼できるわけがない。
ところが、私たちのコミュニケーションはどうだろう。
診断せずに処方箋を出すようなまねをどれだけしているだろうか。
(中略)
私たちはえてして、問題が起きると慌ててしまい、その場で何か良いアドバイスをしてすぐに解決しようとする。
しかし、その際私たちはしばしば診断するのを怠ってしまう。
まず、問題をきちんと理解せずに解決しようとするのである。
私がこれまでに人間関係について学んだもっとも重要な原則を一言で言うなら、「まず理解に徹し、そして理解される」ということだ。
この原則が効果的な人間関係におけるコミュニケーションの鍵なのである。
共感による傾聴
「まず理解に徹する」ためには、大きなパラダイムシフトが必要である。
私たちはたいていまず自分を理解してもらおうとする。
ほとんどの人は、相手の話を聴くときも、理解しようとして聴いているわけではない。
次に自分が何を話そうか考えながら聞いている。
話しているか、話す準備をしているかのどちらかなのである。
すべての物事を自分のパラダイムのフィルターに通し、自分のそれまでの経験、いわば自叙伝(自分の経験に照らし合わせ)を相手の経験に重ね合わせて理解したつもりになっている。
「そうそう、その気持ち、よくわかるわ!」とか「ぼくも同じ経験をしたんだ、それはね…」
これでは、自分のホームビデオを相手の行動に投影しているだけである。
自分がかけている眼鏡を誰にでもかけさせようとするのと同じだ。
相手が話しているとき、私たちの「聞く」姿勢はたいてい次の四つのレベルのどれかである。
一番低いレベルは、相手を無視して話をまったく聞かない。
次のレベルは、聞くふりをすること。「うん、うん」とあいづちは打つが、話の中身はまったく耳に入っていない。
三番目のレベルは、選択的に聞く態度である。話の部分部分だけを耳に入れる。
三〜四歳くらいの子どものとりとめもなく続くおしゃべりには、大人はたいていこんなふうにして付き合う。
四番目のレベルは、注意して聞く。神経を集中して、相手が話すことに注意を払う。
ほとんどの人は四番目のレベルが最高なのだが、実はもう一段上、五番目のレベルがある。
これができる人はそういないのだが、相手の身になって聴く、共感による傾聴である。
共感による傾聴とは、まず相手を理解しようと聴くことであり、相手の身になって聴くことである。
相手を理解しよう、本当に理解したいという気持ちで聴くことである。
パラダイムがまったく違うのだ。
共感とは、相手の視点に立ってみることである。
相手の目で物事を眺め、相手の見ている世界を見ることである。
それによって、相手のパラダイム、相手の気持ちを理解することである。
共感は同情とは違う。
【引用元】https://r25.jp/article/728163783218680936【新R25】
引用記事を分かりやすくまとめると「相手の物語の主人公になれ」ってことですね(´_ゝ`)
本質=特徴を捉えるには、相手の身になってみなければ分かりません。
それは「物」でも同じ。物の背景には使う「人」の物語がある。
にゃんにゃか言われても猫さんの気持ちは分かりませんよってことですね(´・ω・)
グループワークではそういったことも考え合っています。
デイケアでも「自分自身のことは結局自分にしか分からない」と言っていました。
だからこそ、自分自身に対して嘘に嘘を重ねたら巡り巡ってとんでもないことになってしまう。
全て自己開示出来なくても少しずつ開示していくと、人生も人間関係も豊かになっていきます(^^♪