【人生】上善は水の如し!【生き方】
どうも、就労移行支援を受けているMです。
今年もいよいよあと少しですね:;(∩´﹏`∩);:
今日からお飾りを飾ったり、お餅をついたり、新年の準備を始める家庭が多いかと思います。
来年はどんな1年にしようかな?
そう思っている方々にこんな考え方があります(*^^*)
「上善は水のごとし」の意味は?
水こそ理想の生き方!
いつでも蛇口をひねれば水が出てくる。
そんな便利な環境に慣れている私たち日本人にとっては、
水はいつでもあるのが当たり前。
まじまじと、その動きに注目して見る機会も少ないのではないでしょうか?
しかし、赤ちゃんに水を見せると、非常に強い興味を示します。
実体があるようでいて、手にはつかめない。
そんな水の流れを見て首をかしげ、手を伸ばしてその感触に驚き…。
確かに、改めて考えてみると“水”とは不思議な物体ですよね。
老子は、この“水”に理想の生き方を見出していました。
水は、柔らかくしなやかでありながら、一方では硬いものを穿つ強さも持ち合わせていますよね。
しかも、万物に恵みを与え、争うということなく低いところに留まろうとします。
(水は高い所から低い所に向かって流れますよね)
そんなしなやかさと粘り強さこそ、“究極の理想”だと言うのです。
“最上の善”とは?
「上善如水」
(上善は水の如し)
老子は、現代でも語り継がれる様々な名言を残した人物として知られていますが、最も馴染みのある言葉が、この「上善如水」ではないでしょうか。
もっとも、お酒の銘柄としても使われていますので、「飲み屋でよく耳にする」という方も多いかもしれませんが(笑)。
この「上善如水」という言葉通り、老子は、
“水”に「最上の善」というものを見出していました。
最上の善とは、争いを避けて生きること。
…というのも、老子が生きた時代(紀元前6世紀~紀元前4世紀)の中国は国同士の争いが絶えず、争うことで利を得ようという生き方が一般的だったからです。
当時は誰もが、「人よりも上に行こう」「人を蹴り落としてでも上を目指そう」
…そう躍起になって戦っていたことでしょう。
そんな時代にあって、老子は、
「人と争わず、常に低いところに留まりなさい。まるで水のように」
…と、生き方の見本として“水”を挙げているわけですね。
「競争しない」という生き方のススメ
「上善如水」や「無為自然」という言葉によく表れていますが、
老子の基本的なスタンスは「競争しない」ということ。
ともすれば私たち現代人は、「競争から降りて生きる」=負けを認めることと捉えがちですが…。
老子によれば、水のように「争わず、低きところに留まる」生き方こそ堅く強いものに打ち勝つことができる秘訣なのだとか。
弱さに徹した水の性質を変えさせるものはない、だからこそ、水に勝るものはないのだと言います。
確かに、水は、その流れの力で少しずつ大きな物(土石)を動かすこともできますし、山を侵食することも、岩に穴を開けることもできますよね。
流れに触れても、手には何も残らない。
それなのに、何にも勝る力を秘めている。
やわらかでしなやかでありながら、実は何よりも強い!
そんな“水”のような生き方ができれば、向かうところ敵ナシかもしれませんね。
【引用元】http://www.roushiweb.com/category1/entry6.html【心が楽になる老子の言葉】
人生は歴史と共にある
ということを引用記事はよく表していますね(*^^*)
潜在意識・引き寄せ界隈でも一部では、自分自身の心を「水」にたとえて発信している方が中にはいます。
心の奥底に溜まってしまった泥水は「自分で変えよう!」と思わない限りドロドロになったまま(´;ω;`)
猫さんも泥まみれになっちゃうわけです(笑)サビ管さんと泥団子を作って楽しんでそうですが
しかし、自分自身が「水を綺麗にしよう!」と意識すると、泥水は浄化されていき、やがて綺麗な富士の水にもなっていきます。
それが極楽の温泉となると、皆心地よくなるわけです。猫さんはコタツで丸くなっているでしょう( 一一)
自分自身の水を汚すも綺麗にするのも自分次第なんですよね(´・ω・`)
来年、私は水のように強くしなやかに楽しく生きていこうと思っています(*^^*)
皆さんも良いお年をお迎えください(^^♪