人は消費するだけでも価値があるんだよ

引きこもりや障害者をやっていると、どうしても「自分は『生産性』のない人間なのではないか?」と自問自答したりして落ち込むことが多かったりします。

そしてニュースやネットなどを見ると、やれ日本の生産性が社会の生産性がという話をやたらみかけます。

しかし、そう『生産性』だけに偏るのは、社会的な弱者に余計なプレッシャーを与えて、社会活動を萎えさせるだけなのではないでしょうか?

ただでさえ日本は「消費が落ち込んで慢性的な不況に陥っている」と報道されまくっているじゃないですか。

他の国に話を広げず日本に限って言えば、「人は消費するだけで十分に経済を回しているし、どこかで社会貢献できているんだ」と開き直るべきなんですよ。

引きこもりや障害者の人たちも「自分は生産性のない人間ではないか?」と落ち込む前に「消費して社会参加はもうしているんだし、少しでも生産できるなら大したものじゃないか?」と開き直っていいと思います。

「引きこもりが増えて生産性がどーの」、「老人が増えて生産性がどーの」という言葉にプレッシャーを覚えて、引きこもったり社会参加をあきらめる前に「消費しているだけで経済回しているんだ、社会貢献しているんだ」ともっと思えるような社会になってほしいと思います。

そして、少しずつ今「社会に出ることが怖くなっている」人たちが、社会参加していくことが、チリが積もれば山となるではありませんが、最終的に日本経済を少し景気よくしていくのだと思います。

「人は消費しているだけでも社会参加しているんだよ」って言って、まずは自信を回復させて、そして、ゆるゆると外に社会に出るようにしていけるようにした方がいいと思います。

引きこもりや障害者にいきなり「生産性を上げろ!」と言う前に、少しずつ社会参加をさせて最終的に生産性にも参加できるようにゆるゆると慣らしていくのが大事なんだと思います。

いわゆる7040問題や8050問題は一朝一夕に生まれた問題ではなく、根底には日本の失われた20年に端を発した終身雇用の崩壊や社会保障の行き詰まりなどが積もり積もってできた問題です。

ですから、急いで解決しようとは考えずに、「今社会参加する気力も自信もなくなっている」数十万単位の人間たちが、少しでも社会参加への意欲を見られるようにゆったりとした道を用意させてあげて、少しずつ社会に慣れさせていくという過程が必要なのだと思います。

積もり積もった日本社会の矛盾が生み出した問題を、急いで解決すると返って悪い結果を生み出すと思います。

 

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