【エナベルの本棚】『魔群の通過』山田風太郎

幕末最大の闇、それは水戸藩 『魔群の通過』山田風太郎

こんにちは、エナベルで就労支援を受けているОです。

安政の大獄や桜田門外の変、会津藩の悲劇、土佐藩の勤皇党弾圧、池田屋や寺田屋の変、新選組の内部弾圧などなど、幕末には様々な悲劇や惨劇が溢れています。

別の見方をすれば、幕末とはテロと内乱の時代でしたから、それも当然なのかもしれません。

そんな中で、筆者が幕末最大の闇と呼ぶべきなのは、水戸藩の惨劇だと思います。

幕末史をかじった人は、「どうして最も初期に勤皇派になった水戸藩が、その後衰退して、薩摩や長州、土佐、肥前に手柄や明治後の要職を取られてしまったのか?」という疑問が起きると思います。

そして、それについて描かれたドラマやマンガや小説などはほとんどありません。

というより、たぶん描いても面白くもなんともならないでしょう。

なぜなら、あまりにも凄惨すぎて、感情移入の余地がないまでの惨劇だからです。

水戸は真っ先に尊王攘夷思想をかかげて、幕府に対立的な態度をとった藩ですが、水戸は江戸の目の前であり、幕府は様々な手段で水戸を分裂させようとしました。

その結果、幕府側の「諸生党」と勤皇派の「天狗党」に水戸藩の末端まで分割され、互いに凄惨なテロや暗殺を繰り広げて殺しあいます。それだけではありません、天狗党内部でも「鎮派」や「激派」など際限なく分裂して、殺しあいます。

そして、ついには追い詰められた「天狗党」が挙兵して、京都まで攻め上ろうとします。

これを山田風太郎は「魔群の通過」というタイトルで描いたのです。

「魔」軍ではありません、「魔群」です。天狗党は軍というにはあまりにも統制がとれておらず、各地で略奪と殺戮を繰り返しながら進軍ではなく「通過」していったのです。

天狗党は初期の理想や目的など忘れ去られ、ひたすら略奪と殺戮を繰り返する「魔群」として各地を「通過」していきます。

その末に、最大時で3000名にも膨れ上がっていった「魔群」は800人まで消耗し、幕府に投降し、鰊倉に下帯一本に限り、一日あたり握飯一つと湯水一杯という扱いで監禁され、352名が処刑されます。

これだけでも凄惨な幕末史でも類を見ない虐殺であれ、また虐殺を招いた天狗党の関東での惨禍でした。

しかし、さらなる闇は、天狗党352名が虐殺されても終わりません、その後、水戸藩では諸生党が水戸の各地に残った天狗党を処刑始めます、さらに戊辰戦争が起きると天狗党の残党が水戸藩の諸生党へ復讐をはじめ、さらに会津戦争の頃には脱出した諸生党が水戸に攻め入る「弘道館戦争」というものが勃発します。

その後も天狗党と諸生党、いやもはやこの時点では、ただ単に復讐と猜疑心の塊になっていた水戸では、互いにテロと殺戮を明治になっても繰り返し続けます。

幕末ではほとんどの藩が勤皇と佐幕に分かれて抗争をしていますが、水戸は真っ先にそれが行われ、やがては勤皇や佐幕といった目的も理想も忘れ去られ、最後には復讐心と猜疑心だけが残り、ただただ殺戮を繰り返すだけの存在になっていました。

水戸藩では尊王佐幕を問わずあらゆる人材が、殺戮の惨禍の中で失われ、感情移入できるような人物は存在しなくなります。

そのため、「幕末の水戸藩」はタブーというより「そもそも感情移入できるような人間が残っていない」という状態になってしまうため、小説やドラマやマンガの題材にもできないまま、ただただ「幕末史の闇」として空白になったも同然に語られなくなっていきました。

そんな一部始終を山田風太郎はひたすら淡々と救いも何も存在まま書ききりました。

読後感はただ無常です。

恨みあい殺しあった水戸藩に残ったのは、ただの闇となった歴史。

誰も語りようがない、語りたくもない歴史だけでした。

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